平成18年9月22日更新!
寒山拾得図 ( かんざんじっとくず )


寒山、拾得ともに中国唐代の人と言われますが、実在したかは不 明です。拾得は天台山国清寺の豊干禅師が赤城山に て拾い、育てたことからこの名がつきました。拾得は国清寺厨房の仕事に携わり、残飯を寒山に与え、親交を深めました。寒山、拾得に豊干禅師を加え、国清三 隠と呼ばれました。後に彼ら3人の詩を集めたとする『寒山詩』は、宋時代には 現在の形が完成したようです。これは広く愛され、日本では寛文12年 (1672)、『寒山詩管解』など多数の注釈書が編まれる程でした。
一方、寒山、拾得は鎌倉時代後期以降、盛んに日本でも描かれました。有髪で破れかかった衣を 着ける姿に表されるのが通例で、箒を持ち作務にいそしむ、あるい は詩を書く態などが好まれました。
左図では、寒山が上部の月を指差し、箒を持った拾得もそれを眺めています。賛文(「我心似秋月・・・」)は、『句双葛藤鈔』から引用されており、同様の文 言を他の禅宗絵画にも見出すことができます。作者は妙心僧堂を開単した、越溪守謙(1810〜84)で す。
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