平成19年2月19日更新!
横山 大観
日本画家として著名な横山大観(1868〜1958)は、明治22年(1889)、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入校しました。岡倉天心(1863〜1913)橋本雅邦(1835〜1908)らに学び、早くからその才能を開花させた画家です。なお、岡倉天心は「日本美術」の概念形成に大きな役割を果たした美術行政家で狩野派の伝統を尊重し、 橋本雅邦は狩野雅信に学んだ人物です。従って、近代の美術においても、やはり狩野派に役割は大であったことが言えます。
大観は卒業後、京都市美術工芸学校教諭を経て、東京美術学校に勤めますが、天心らに従い自らも辞職(美校騒動)。日本美術院の創始に尽力するとともに、輪郭線を伴わない西洋画法を取り入れた新しい日本画を発表していきます。その表現は、当時「朦朧体(もうろうたい)」と酷評されました。大観の評価のように、近代に至り、美術評論が雑誌や新聞において盛んになされるようになりました。かつ新聞の発行部数も挿絵作家の技量により大きく異なるなど、美術が一般化するとともに、美術とメディアの関係が、江戸時代以上に密接になっていったのが美術における近代の一側面と言えます。
左は「観音図」です。大観は、仏教、あるいは古典的主題を多く手掛けますが、それを新たな技 法で再現することを盛んに行いました。
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