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【 第1話 】

このたび、「私の修行時代」というテーマで話をすることになり、重い腰を上げてやっとの思いで参りました。私の実体験とはいえ、こういったテーマで話をすることは何となく気おくれをしまして誠に忸怩(じくじ)たる思いであります。一体、修行とは自ら行じて体得すべきものであり、人に語るべきものではないものであります。お聞き苦しいことと思いますが、何卒しばらくの間、ご辛抱下さいますようお願い申し上げます。

私は11才の時、当時、神戸の正法寺住職であった臥牛軒(がぎゅうけん) 長廻正元(ながさこ しょうげん)老師(ろうし)に就いて得度(とくど)し、小僧として育てられた。昭和16年、臥牛軒老漢(ろうかん)が神戸祥福寺へ転住(てんじゅう)せられ、僧堂の雲水の接化(せっけ)に当たられることになったので、昭和22年、私も21才の時に僧堂に掛搭(かとう)し、他の雲水と共に本格的に禅の修行が始まったのである。

臥牛軒老師の家風は卓州系(たくじゅうけい)で、綿密微細(めんみつびさい)な家風そのままに、平常の鉗鎚(けんつい)は実に厳しかった。今思い返してもゾーッとする。例えば、廊下の歩く音が高いとか、下駄の音をひきづって歩くなとか、歩き方に至るまで細かく注意される。隠寮(いんりょう)の老師の部屋を掃除して、箒木(ほうき)の使い方が悪いから箒木が片側イビツになるんだ。床の間の置物がちょっとでも正しく置かれておらんと叱られる。香炉の3本の脚の1本が手前にこちらに向け逆三角形になるように、定められた畳の目にキチンと置いていなければ気に入られない。本堂で経を読む時、回向(えこう)が一寸でも間違ったりすると大声で叱責される。鐘や木魚の打ち方が悪いと扇子が飛ぶ。凡て他の雲水の面前で叱咤(しった)される。元来鈍物の私で、要領も悪く失敗ばかり繰り返しているものだから老師にとっては歯がゆくて仕方がないのであろう。一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)をとり上げて怒鳴られたものである。

特に参禅入室(さんぜんにっしつ)の時は実に辛辣であった。参禅に行くと「そんないいかげんな工夫で参禅するな、このタワケ者」と。またある時は、「何をつまらん理屈をぬかすか」と如意(にょい)でもって打たれた。それも背中の骨が折れんばかりに叩かれて、一日中その痛さに堪え、自分の不甲斐なさにどれ程泣いたことかはかり知れない。だから、参禅に行くのが恐ろしくて行かないでおると「何故参禅しないのか、工夫もせずフラフラしておるから参禅できんのだ。そんなことではいつまでたってもラチあかんぞ」と。そこでまた怒鳴られるといった有様で、もうどうにも取りつく島もなく行きづまって悶々としていた。「無字の公案(むじのこうあん)」を貰って3年の間、少しもラチあかず毎日叱られるばかりであった。老師の徹悃(てっこん)の慈悲も、その時は何とも恨めしく腹立たしく感じ、自分などは禅を修行する資格はない、坊主をやめて還俗(げんぞく)しようかと思い悩んでいた。

   

忸怩(じくじ)・・恥じ入る
臥牛軒(がぎゅうけん)・・長廻正元(ながさこしょうげん)(1889〜1952)島根県平田市出身。昭和16年〜27年、祥福僧堂師家を務める。碧層軒 五葉愚渓老師に嗣法する 
老師(ろうし)・・臨済宗では、僧堂の師家や白隠下の修行を修了した僧侶に対する敬称として用いる
得度(とくど)・・出家して僧籍に入ること
老漢(ろうかん)・・老師から指導を受けたものが、老師に対して親しみをこめて呼ぶ別称
転住(てんじゅう)・・別の寺に住職として入寺すること
接化(せっけ)・・接得心導の意で、師家が雲水を親しく教化指導すること
掛搭(かとう)・・専門道場に入門すること。
卓州系(たくじゅうけい)・・白隠下の代表的な2大家風の一つ。卓州系は温厚寛容・綿密微細であり、隠山系は孤危嶮峻という家風の違いがある
鉗鎚(けんつい)・・師家が雲水を鍛錬し鍛えること
隠寮(いんりょう)・・師家の居所
回向(えこう)・・お経を読んだ功徳を、仏・祖師・亡者などに振り向けるための言葉
叱咤(しった)・・しかる
一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)・・いちいちの細かな動作。やることなすこと
参禅入室(さんぜんにっしつ)・・与えられた公案の解答を師家に対して呈示すること。参禅ともいう
公案(こうあん)・・師家から雲水に与えられる禅的問題
無字の公案(むじのこうあん)・・雲水が最初に参究する公案
徹悃(てっこん)・・心の底からの
還俗(げんぞく)・・出家者が一般人に戻ること

 

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