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【 第2話 】

そうした或る日、私を陰で何かと面倒を見て頂いていた、祥福寺の補佐員でもあった自肯院老和尚(昭和51年101才で遷化)に自分の心のうちを包みかくさず打ち明けた。すると老和尚は私の心中を察して、「他の道場へ行って修行してはどうか。関東の野火止は平林僧堂に牧牛窟(ぼくぎゅうくつ) 白水敬山(しろうず けいざん)老師がおられる。その敬山老師の処へ行け、臥牛軒老師には衲(わし)から話しておくから」と云われて、私は荷を整えて師匠である臥牛軒には無断で、平林僧堂へ行脚(あんぎゃ)に出かけた。昭和25年の秋(24才)であった。平林僧堂へ掛搭するに当たって、自肯院和尚からの知客寮(しかりょう)宛への添書を預かり、掛搭願書と一緒に差し出して庭詰め(にわづめ)をした。添書の内容はどういうことであったか、後に聞いたこともないので知る由もない。2日の庭詰めのあと、旦過詰め(たんがづめ)は普通3日か5日であるが、10日目にやっと、参堂(さんどう)が許され牧牛窟老師に初めて相見をした。

その折り、老師から「あんたの師匠の臥牛軒老師は、祥福寺の碧層軒(へきそうけん)老師の許での修行をやり上げて(印可をうけて)後、伊深の正眼僧堂に逗留(とうりゅう)し、聖胎長養(しょうたいちょうよう)しておられた。衲はその頃、侍者寮(じしゃりょう)におったのでよく存じておる。古尊宿(こそんしゅく)の風格のある境涯のすぐれた方であった。その弟子のあんたが、此のたび縁あって衲の処で修行されることになったが、どうかひとつ骨折って本当の修行をして貰いたい。衲は伊深の正眼僧堂の無隠惟精(むいんいせい)老師の孤危嶮峻(こきけんしゅん)の厳しい鉗鎚の許で修行した。衲も容赦なくきびしくやるから、あんたも身命を賭するの意気込みで精進して貰いたい。己事究明(こじきゅうめい)し、真の禅僧となることが師匠への報恩になるのだから、大馬鹿になって真剣に骨折って貰いたい」と徹悃のご垂誡(すいかい)をうけた。ついでに老師が僧となった因縁や、博多の聖福寺から伊深の正眼寺での刻苦修行されたことなど懇切な言葉の一つ一つが、私の平林寺へ行脚するまでの悩み苦しんだ心と重なって誠に有りがたく拝聴した。そして老師から改めて「趙州無字の公案(じょうしゅうむじのこうあん)」を頂いて参禅することになった。

掛搭して1ヶ月が経った頃だろうか、臥牛軒老師から速達の手紙を受け取り、「オ前ノ様ナモノハ勘当ジャ、以後當方ヘノ出入リヲ堅ク禁ズ」との内容のものであった。私は覚悟の上であったので、格別驚きもしなかったが、11才の小僧時代からお世話を掛けた老師に対して申し訳ない気持ちで一杯であった。そしてこのようになった以上は、ここ平林僧堂でトコトンやるしかない。もし修行中に死ねば本望だという勇猛心が湧き起こった。

さて、私が掛搭した頃の牧牛窟白水敬山老師は、54、5才で師家として最も油の乗っておられる時期であった。雲衲が22人、常在の居士も2人居て規矩(きく)厳重であった。而も太平洋戦争終わって戦地から帰還した頑健な雲水達で活気にみちていた。当時は戦後の食糧事情の悪い時で、大攝心修行の時以外は、堂内員は上下の距てなく全員毎日、鋤(すき)、鍬(くわ)の農具を持って5町歩の畑作務で、陸稲、小麦、ジャガイモ、サツマ薯の主食から、人参、牛蒡、大根、菜等の野菜類を作って、所謂自給自足していた。神戸から来て之程、大がかりな畑作務に慣れない私には肉体的にきつかった。然も作務で疲れた体に鞭打ち気合いを入れて、「本参の話頭(ほんさんのわとう)」に取り組んで何とか決定(けつじょう)せんものと解定(かいちん)後の夜座(やざ)にと精出し、朝参暮請(ちょうさんぼしょう)入室参禅は欠かさなかった。参禅にゆくと、老師から「ム(無)ーとなり切れ!骨折れ、骨惜しみするな。まあ一つ、まあ一つ」と叱咤(しった)し、警策(けいさく)をうけることしばしばであった。

牧牛窟(ぼくぎゅうくつ)・・白水敬山(しろうず けいざん)(1897〜1975)福岡県春日市出身。昭和15年〜昭和48年、平林僧堂師家を務める
衲(わし)・・私
行脚(あんぎゃ)・・広く諸方に師匠を求めて旅をすること
知客寮(しかりょう)・・僧堂全体を取り締まる役
庭詰め(にわづめ)・・入門の許可を得るために、玄関で終日低頭すること。通常2日ほど
旦過詰め(たんがづめ)・・庭詰めのあと、3日〜5日ほど面壁の行を行うこと
参堂(さんどう)・・庭詰め、旦過詰めを終えて入門を許され、禅堂に入ること
碧層軒(へきそうけん)・・五葉愚渓(ごよう ぐけい)(1859〜1944)大分県南海部郡出身。明治40年〜不詳、神戸 祥福僧堂師家を務める。吹毛軒 毛利喚應老師に嗣法する
逗留(とうりゅう)・・滞在する
聖胎長養(しょうたいちょうよう)・・白隠下の公案修行を終えた、悟後の修行のこと
古尊宿(こそんしゅく)・・長老、高僧
侍者寮(じしゃりょう)・・禅堂の世話をする役
無隠惟精(むいんいせい)・・小南惟精(こみなみ いせい)(1871〜1940)岐阜県恵那郡出身。大正13年〜昭和15年、正眼僧堂師家を務める。槐安軒 川島昭隠老師に嗣法する
己事究明(こじきゅうめい)・・公案を透過して禅道を窮めていくこと
垂誡(すいかい)・・師家の訓示
法嗣(はっす)・・師の証明を得て、法統を伝える弟子のこと
規矩(きく)・・僧堂の規則
本参の話頭(ほんさんのわとう)・・師家から与えられ参究している公案
決定(けつじょう)・・けりを付ける
解定(かいちん)・・消灯。開枕とも
夜座(やざ)・・解定後の坐禅
朝参暮請(ちょうさんぼしょう)・・朝に夜にたずねる
叱咤(しった)・・叱ること
警策(けいさく)・・むち打つこと

 

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