平林僧堂に掛搭以来、月日は瞬く間に過ぎて早や2年になろうとしていた。僧堂生活にも慣れ、修行にも益々身を入れていた頃、昭和27年9月の初め、神戸祥福寺の臥牛軒老師が最も親しくしておられた丸山の明泉寺老和尚から、私への速達の手紙が届いた。開封して読んでゆくと、臥牛軒老師が胃癌で久しく病床にあり、祥福寺は人少(にんしょう)でもあり、弟子の貴殿が一刻も早く帰山して看病されることが望ましい。どうか宜しくお願いしますといった旨の内容であった。私は暫く考えて返事を出した。「私は臥牛軒老師から勘當(かんどう)されて、祥福寺への出入りは固く差し止めされておりますので、折角ですが帰山する訳にはまいりません」と、ことわりの手紙を出した。 するとまた折り返し速達で「臥牛軒老師の病は相当に進行している。とても見るに忍びない状態であるから私情を捨てて即刻帰って来て下さい」と暫暇状(ざんかじょう)を添えた手紙を受け取ったので、私は僧堂の役位(やくい)である直日(じきじつ)さん、知客(しか)さんにこの旨を話し、また牧牛窟老師に相見して暫暇をお願いした。その時、老師から「誠に残念だが、師匠の病気とあっては仕方がない。一刻も早く帰山して十分に看護されるように」と許しを得て帰山した。 
そして祥福寺へ到着し、庭詰を覚悟して「タノミマショウ」と庭詰しようとすると、知客さんが出てきて、早くあがって隠寮へ行って下さいと云われて、早々に隠寮へ行くと、臥牛軒老師は痩せ衰えた体で爐端(ろばた)に坐って眼を閉じておられた。私は老師の罵声(ばせい)を覚悟で平身低頭して、これまでの非礼を詫びた。暫くたって老師は何も云われないので、フット頭を挙げて見ると、老師は眼に一杯涙をためて只黙って肯いておられた。その様子を見るや私も思わずこらえ切れず声を上げて泣いた。あのきびしくも、むづかしい老師が弟子の前で涙を見せられたのは初めてで、何とも云えない思いであった。それからは専一に老師の看護につとめることが修行だと、ひとときも老師のそばを離れず、しもの世話や、体をさするやら悪戦苦闘、看護につとめた。毎日医者が通って来られ注射と点滴をうけておられたが、食べ物はうけつけられず、日に日に肉体は痩せられる一方であった。 老師のベッドの許で夜坐をしておると、老師は「色身(しきしん)あっての法身(ほっしん)じゃ、少しは休め。修行は一生だ」と私の身を案ぜられる。また或る時は「済まん、済まん」と云って合掌されたり等々、今にして老師の大慈悲を痛感する愚かな自分を恥入るばかりであった。看護して1ヶ月半程経った或る日、老師はご自身の余命のいくばくもないことを覚られてか如意を出して「衲の遺品じゃ、受け取って呉れ」と云われ、感涙と共に拝受した。その如意は、かつて老師に参禅の折、散々に打たれたもので、その往時を思い起こしてむせび泣きした。その如意は今も私の座右に置いている。 老師の病状は益々篤(あつ)くなり、日に日に衰えてゆくばかりで、遂に昭和27年10月27日未明、遷化(せんげ)された。僅か1ヶ月半の看護であったが、私は老師の死と共に疲れが一辺に出て精根尽き果てた。暫くの間、虚脱感に襲われ涙も出なかったが、時がたつにつれて悔恨(かいこん)と寂寥感(せきりょうかん)で泣けて泣けてどう仕様もなかった。 
祥福寺の後任に、老師は病中に於いて委嘱された方がおられたが、京都妙心寺山内の霊雲院住職の山田無文(やまだむもん)老師を後任に決定された。私は新老師を翌年の4月にお迎えするまで留まって臥牛軒老師の残された諸々の整理につとめることになった。
年が明けて昭和28年2月頃、平林寺の敬山老師が知客の徳さんを伴って臥牛軒老師の墓参に見えられ、一晩投宿(とうしゅく)された時、私に「こちらの事が落着いたら平林寺へ帰錫(きしゃく)するように」と暖かい有り難いお言葉を頂いたのであった。しかし、私はかつてから宗門の大学へ行って仏教学、禅学を勉強したいという願望があり、法類(ほうるい)の和尚の支援もあって4月に京都
花園大学へ入学した。そして昭和32年3月に卒業するまでの4年間、長岡禅塾から大学へ通学した。禅塾の森本省念(もりもとしょうねん)老師及び祥福寺法類の和尚には、身に余る御法愛を蒙った。 3月に花園大学の卒業を控えた或る日、平林寺の敬山老師より「卒業したならば、直ちに平林寺へ帰錫するように」との懇切な手紙を頂いた。もとより私は、大学を卒業したならば平林寺へ再掛搭(さいかとう)する所存であったが、敬山老師のそれ程までに不つつかな私のことを心配して下さる、その御高恩に報ゆるべく、再び平林寺へ掛搭し、現在に至っておる次第であります。

人少(にんしょう)・・少人数 勘當(かんどう)・・師弟の縁を切り、出入りを禁止される 暫暇状(ざんかじょう)・・2泊3日以上の休息願書 役位(やくい)・・長年修行した雲水に与えられる役 直日(じきじつ)・・禅堂の総責任者 知客(しか)・・専門道場の総取締り役 爐端(ろばた)・・いろりのそば 罵声(ばせい)・・怒鳴り声 色身(しきしん)・・肉体 法身(ほっしん)・・仏心・仏性 篤く(あつく)・・病気が重くなる 遷化(せんげ)・・禅僧が亡くなること。衆生の教導を他方世界に移す 悔恨(かいこん)・・後悔と残念な思い 寂寥感(せきりょうかん)・・さびしさ、空虚な感じ 山田無文(やまだむもん)・・通仙洞
山田無文老師(1900〜1988)。妙心寺派管長、花園大学学長を歴任。天龍寺僧堂 関精拙老師に嗣法 帰錫(きしゃく)・・専門道場に帰ること 投宿(とうしゅく)・・宿泊 法類(ほうるい)・・関係のある寺院 森本省念(もりもとしょうねん)・・孝慈室
森本省念老師(1889〜)長岡禅塾初代塾長、哲学者西田幾太郎の高弟、相国寺僧堂 山崎大耕老師に嗣法 |