そして、18年の平林僧堂での雲水生活には様々な思い出があります。 僧堂の修行は、堂内(どうない)と常住(じょうじゅ)に分かれ、それぞれ6ヶ月毎に役を交替する。永く修行すると同じ役を二度三度と経験することになるのであるが、私にとって何よりも有難く、今に忘れがたい印象に残る体験は、隠侍(いんじ)といって隠寮(いんりょう)におられる老師の許に待って、その身の廻りのことを世話する役であり、隠侍は老師に随侍して毎日直接にその謦咳(けいがい)に接したことである。そして私は外の雲水が半年つとめた所を夏冬1年間つとめた。 一般に、禅の修行というと、禅堂で坐禅することだと思われておるが、禅の修行は坐禅ばかりではない。作務(さむ)や托鉢(たくはつ)や各役寮、すなわち直日(じきじつ)、侍者(じしゃ)、知客(しか)、副司(ふうす)、典座(てんぞ)、殿司(でんす)、副随(ふずい)、三應(さんのう)といった役職に伴う日常的な仕事や、立ち居振舞いの営みの中にも、自己本来の仏性を明らめることを求められているのである。言い換えれば、坐禅に依ってもたらされた禅定力(ぜんじょうりき)を日常の生活の中に主体的に働いてこそ生きた禅といえるのである。 さて私は、敬山老師の隠侍になって、その日々の生活に於いて気を引きしめて、掃除や食事やマッサージ等々純一に精出した。敬山老師は、臥牛軒老師のように、声を荒げて叱ったりはされない。始終黙して隠侍の挙惜動作(きょそどうさ)を見ておられたが、私にとって黙って見ておられることは却って恐ろしい気がした。然し見兼ねて注意されるときは決まって、ご自分が修行時代に仕えていた正眼寺の惟精老師の話しをもち出されて、先師惟精老師はこう云われたと、惟精老師の下での苦労話を懇々と垂誡(すいかい)されるという風であった。例えば惟精老師が隠侍を呼ぶ時は馬鈴(ばれい)をジャラジャラと鳴らされると間髪を入れる隠侍は「ハイッ」と返事をして老師の所に伺ってご用を聞くのであるが、私は何か外の用をしておったので「ハイッ」と返事をしておき乍ら老師の処へ行くのが少し遅れたことがあった。すると老師は「喚んだら何をおいてもすぐ来るんだ。古則公案が日常生活上に生きておらなければ何の益にもたたんぞ」と垂誡をうける。私は只々低頭し謹聴するばかりであった。

そして隠侍で最も気をつかったのは食事であった。老師は粥座(しゅくざ)は摂られなかったが、斎座(さいざ)は、雲水と同じ典座で料理した薩摩芋か大根の入った麦飯と味噌汁と沢庵と、別に私が作った小菜の一品を添えて老師専用の高膳に載せて差し出す。薬石(やくせき)は隠寮の狭い台所で白的(はくてき)の御飯からお惣菜を三品作ってお膳に配置して差し出す。煮炊きは凡て薪と木炭であり、昭和32年頃は食材も畠(はたけ)でとれた限られたものであり、水道もなく、野火止用水で洗い物をし、井戸から汲み置いた水を飲料水として使っていた時代であった。食材は凡て平林寺の畑で雲水が作務で作った野菜等をいろいろと工夫して調理したものを差し出し、店で買って来た素材を料理したものは注意される。老師は中々の健啖(けんたん)で何でも残らず召し上がられた。 給仕をしていて美味しいとか、まずいとか決して言葉で云われなかったが、食べておられる仕草(しぐさ)で大体分かる。美味しい時は顔がゆるんで小鼻をピクピクされ、御飯を1杯余分に召上がられる。老師の態度、咳払い1つで、何を要求し何を云われているかを察知するまでにならなくては隠侍は全くにつとまらない。まずいと御自分が仕えておられた時の惟精老師の話しを持ち出される。「惟精老師はですネ、食事には随分うるさかった。味付けなどのことはよく注意された。特に熱ものを好まれ、夏の暑い時でも味噌汁でもぬるいと叱られたもんである」と云った塩梅(あんばい)である。 また或る時は、老師が最初に師事した博多の聖福寺の東瀛(とうえい)老師のことを引き合いに出されて「東瀛老師はですネ、お膳を運ぶ時は須弥山(しゅみせん)を持ち上げるような気持ちでせよ」と。そしてお膳が畳の目のいつも定まった所に置かないと気に入られない。側で老師が御飯のお代わりをする時、老師が茶碗を隠侍に差し出されるのと、隠侍が茶碗をのせる盆を差し出すのとピタッとタイミングが合わないと注意される。そして膳を出すときも盆を差し出すときも何事でもドテッ肚でやれときびしく云われた。

堂内(どうない)・・禅堂、および禅堂の雲水のこと 常住(じょうじゅ)・・庫裏や本堂、書院、およびこれらの場所に役を司る雲水 隠侍(いんじ)・・老師の世話係 作務(さむ)・・労働作業 托鉢(たくはつ)・・雲水が看板袋を首に掛けて、市中に喜捨を求めて歩く修行 直日(じきじつ)・・禅堂の総責任者 侍者(じしゃ)・・禅堂の世話をする役 知客(しか)・・専門道場の総取締役 副司(ふうす)・・専門道場の会計を司る 典座(てんぞ)・・食事係 殿司(でんす)・・お経や本堂の法式を司る 副随(ふずい)・・客の応対や買い物等の雑用係 三應(さんのう)・・隠侍に同じ。 禅定力(ぜんじょうりき)・・身心を統一した力 挙惜動作(きょそどうさ)・・立ち居振る舞い 垂誡(すいかい)・・老師の訓示 馬鈴(ばれい)・・鈴 粥座(しゅくざ)・・朝食。通常はお粥 斎座(さいざ)・・昼食 薬石(やくせき)・・夕食 白的(はくてき)・・米のご飯 健啖(けんたん)・・食が太い 塩梅(あんばい)・・具合い 東瀛老師(とうえいろうし)・・九州
博多聖福寺の汲古室 龍淵東瀛老師 須弥山(しゅみせん)・・仏教の世界の中心に立つといわれる高山 |