東京禅センター第1回公開講座 NO.2
| 【 白隠禅画を読む 】 | 芳澤 勝弘 |
平成17年4月16日 |
◆白隠禅師とのであい 皆さんこんにちは。ご紹介いただいた芳澤でございます。私はごらんのとおり在家の人間でございます。どうして私のような者が白隠とか、禅の勉強をしているのか。私は長野県のある田舎に生まれたのですが、生まれた家の真向かいが臨済宗妙心寺派のお寺だったのです。つまり、門前の小僧として生まれたわけです。そして、私は京都の大学に入ることになりました。専門は今とはまったく違うものでした。
京都に参ります時に、在所の和尚さんが私の母親に、「あいつは一人で放っておくとろくでもない子になってしまう。私の知り合いの寺があるのでそこに入れなさい」というようなこと言われたようです。一緒に京都に出る友人の世話で、すでに下宿先が決まっていたのですが、そういうわけで、私の荷物が臨済宗妙心寺派のお寺に送られていたのです。最初は、「お寺に下宿するのも悪くないな」と思って入ったのですが、あにはからんや、小僧生活だったわけです。朝早くから起こされ、廊下の雑巾がけ、草取り、そしてお経を誦まされるのですが、その時に初めて誦まされたのが「白隠禅師座禅和讃」でした。私はそのとき18歳だったのですが、それまで白隠という名前を知らなかったんです。初めてその名前を聞きました。もちろん、お経を誦むのも初めてでした。そういう縁がありまして、私はいま60歳になりましたけれども、いまだに門前の小僧のようなことをやっておるわけです。 ◆「禅画」ということ 本日は「白隠禅画を読む」というタイトルで、しばらく絵を見ながら、みなさんと一緒に考えてまいりたいと思います。「禅画を読む」、「絵を読む」というのは日本語として変ですね。普通は絵というものは「見る」わけです。最近では、美術関係の方々も「〜の絵を読む」というような本を出しておりますが、普通は、絵は見るものです。だけれども私はあえて「読む」と申し上げたい。なぜ「読む」のかということは、おいおい分かっていただけると思います。
それからもう一点、禅画といいますけども、その定義はいろいろございます。一番広く申しますと、例えば室町時代に禅林の文化が発展していきますが、禅林の周辺、禅林の中で描かれたものも禅画とも呼ばれます。また、禅のお坊さん、禅僧が描いた絵も禅画と申します。しかし今日、私が取り上げる白隠さんの絵は、そういう広い意味でのものではない。「禅とは何か」ということが書いてある絵、あるいは禅的な方法を駆使して描かれた絵、そういうものが白隠さんの禅画である。私はそう考えております。このことも、これからの話の中で具体的に分かっていただけることと思います。
お手元にレジュメを用意しました。そのうちの1番、4番、5番が、先ほどこの禅センターの二階でご覧頂いたものです。皆さん、絵画にはそれぞれ関心を持ってらっしゃると思います。絵というものは面白いもので、それを見る人が必ず何らかのインプレッション、感想を持つ。90歳のお年寄りであっても3歳の子供であっても、必ず何らかのインプレッションというものを感じると思うのです。一般的に、絵を扱うのは今の学問では美術史の方々の専門ということになっています。美術史の人たちがおやりになる方法は色々ございますけれども、基本的には、その絵が与えるインプレッション、それを説明することなのです。それはそれでいいのですけど、私が今日取り上げる白隠禅画というのは、そういうインプレッションだけでは深い意味がくみ取れないものなのだ、ということを申し上げたいと思います。 ◆おふじさん ではさっそく、絵を見ていただきましょう。1番目、二階の部屋の真ん中に掛かっているものです。写真で見るのと実物ではやはり随分違いがあると思います。 この絵の上の部分には、何か文字が書いてありますね。禅画の特徴は、絵が描いてあって、それを説明する言葉があることです。これを賛(さん)といいます。そこに描かれた絵の内容に賛同して、それを言葉で表現し、たたえるわけですね。絵を描いた人と賛をつける人が別の場合もあります。しかし今日取り上げた白隠さんの絵は、全部ご自分が描いて、ご自分で賛をなさっている。こういうのを「自画自賛」といいます。(笑)。自画自賛というのは、今ではどちらかといえば悪い意味で使われますけれども、決してそういう意味ではないのです、本来は。それで、1番目の絵の賛には何が書かれているのか。草書で書かれていますから読みにくいでしょうけれども、こう書いてあります。
おふじさん 霞の小袖ぬがしやんせ 雪のはだへが 見度ふござんす 絵のほうは、まあ、ややヘタなように思われる方もいるかと思いますが、単純な線で富士山が書いてございます。3歳くらいの子供さんに「富士山を書きなさい」と言ったら、このように書くかもしれませんが、日本人なら一目見て富士山だと誰でも分かります。その形に「おふじさん……」という言葉が書いてある。
面白い文句ですね。富士山という山を「おふじさん」という女性になぞらえているわけです。富士山というのは、一年中、雪を頂いておりますけども、下のほうはだいたい煙っております。昨日、私は京都から参りました。とてもいい天気でした。私はいつも富士山を見るのを楽しみにしているのですけど、昨日はちょっと春霞で、上の方だけが見えました。その裾を隠している霞を「小袖」と、着物になぞられている。それを脱いでちょうだい、雪のよう に白い肌が見たいですよ、というのです。何とも色っぽいですね。ニコニコ笑ってらっしゃる方もいますけれども。(笑)。これは日本人ならすぐ分かります。われわれ俗人が聞いてちょっとニッコリ笑うようなそういう歌ですね。同じ賛が書いてあるものが3番目の軸です。これは縦長の絵で、真ん中に富士山があります。1番目のと違うのは、下のほうに何かが描いてあります。一番下の所に描いてあるのは何か。松並木と、そこを通る人が6人ばかり描いてあります。よく見れば、行列、大名行列です。これは後ほど触れますけども、先ほどの絵と違うのはそこが違います。
それから戻って2番目の絵。これは美保の松原のあたりから富士山を望んだ光景を描いたものです。やはり富士山が中央にあって、下のほうには、田子の浦ですか、そこに舟が二艘浮かんでいる光景が描いてあります。賛は大変長いんですけど、最初の前書きは省略して、後ろの方、つまり右側の二行分、そこに何と書いてあるかというと、
恋ひ人は雲の上なるおふじさん はれて逢ふ日は雪のはだ見る 先ほどの歌と同じようなものですけど、「恋人」とある。今、1番、2番、3番と、富士山の絵を見てきましたけれども、富士山という山をおふじさんと言う女性になぞらえている。あなたの白い肌が見たいから着物を脱いでください、という内容が書かれております。先ほど、安永先生と話していたのですが、「これを英語に訳すと随分ストレートな英語になっちゃうなあ、難しいなあ」なんて話していたのですが、そういう内容の賛です。 ◆富士大名行列図 つぎに5番目の絵をごらんください。これは大きな軸です。このお軸は大分県中津市の自性寺さんにございます。大幅で、部分的に着色されています。中央に巨大な富士山が描いてあります。そして、下のほうをご覧下さい。小さく描かれた人間がズラ〜ッと、右から左に向かって行列しているさまが、じつに見事に描いてあります。これは大名行列なのです。大名行列の実際を色々調べますと、並ぶ順序などが決まっているのですが、それに忠実に描いてある。先供え、後供え、長柄、槍、武具、などと色々ありますが、この絵では、先頭の騎馬に続いて鉄砲、弓、そして槍を持つ人たちがいて、右の方に駕籠があり、そこに殿様がいるわけです。
高精細画像: http://ga.hanazono.ac.jp/zoomaplus/fuji/index.html
解説:http://ga.hanazono.ac.jp/homepage/fujiHP/index.html
(花園大学国際禅学研究所提供) 
そして、行列の先方、左のほうには河が流れております。その上流には舟が何艘かあり、下のほうにもいくつかあります。これは何をしているかというと、大名行列が河を渡るための準備をしているのです。この河は富士川、フジガワではなくフジカワと言うのだそうです。富士川には橋が架かっておりませんでしたから大名行列を渡すために何かの方策をしないといけない。普通の人は川越し人夫に担いでもらったりして渡るのですが、大名行列が渡る時は舟橋と言って、舟を並べてその上に板を渡して臨時に橋を造って渡ったのだそうです。その準備をしている様子が描かれているわけです。
さらに、この絵を細部にわたって観察してみましょう。一番下の大名行列の部分。毛槍という槍を持っている人が8人おります。これを毛槍奴といいますが、この人たちの脚の格好をご覧下さい。時代劇とかでご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、随分変わった歩き方をするんです。上半身は袢纏のようなものを着ていますが、下は何も履かない、ふんどしだけで、槍を持ってこう、六法を踏むようなことをするのですが、そういうことを皆一斉にそろってやっているところが良く描かれております。
それから、大名行列をしているところからちょっとはずれた所に、茶店のようなものがあります。よくご覧ください。茶店の中ではおばさんがしゃがんで、おくどさんで、湯をわかしているのが描かれています。表の方には床机があり、一人の旅の坊さんらしい人が、首に荷物をまきつけ、右肩に杖を休ませて向こうを見ている。その左の方には3人の旅人らしい人がいる。背中に大きな物を背負って、二人は立って一人はかがんでいる。これは「六十六部」という巡礼なのです。各地をまわって、お経を納める巡礼なんですが、ほとんど乞食に近いようなことをして全国をまわった。そういう信仰があったのですが、それが描かれている。
この絵の中で、私が注目しているのは、河を渡った左のところです。ここには嶮しい山があります。そしてその手前には、恐ろしい猪の牙のような岩があります。この岩のところを人や馬が上に登っていくさまが微細に描かれています。二本の牙のような岩の間にも人がいる。その牙のような岩山の後の方をご覧下さい。白い雲がもくもくとわいていて、そのうしろには黒雲が、そのまたうしろには白い雲がわいています。こういう雲の描かれ方、そして左の険しい山や岩の描かれ方、これに私は、ちょっと怖いという感じを持っています。「風雲急を告げる」感じがよく描かれているように思うのです。
この対岸のところは岩淵という宿場です。いまも山がありますが、実際にはこんなには高くはない。縱に3倍くらいに伸ばした感じで、さらに実際にはない、牙のような岩山を描いているのです。極端にデフォルメしているわけです。
そういう細かい所を念頭に置いていただき、もう一度戻って、全体図をご覧下さい。大部分を占めるのは大きく真っ白に描かれた富士山です。下のほうは大名行列です。そして左側の方にすごくとがった山には蟻のような人間が登っているのが描かれていて、その後ろには白い雲と黒い雲がもくもくとわいている。さきほど見ました1番から3番まで富士山図には、おふじさん 霞の小袖ぬがしやんせ雪のはだへが見度ふござんす という色っぽい賛が描いてありました。そしてこの5番目の絵にも富士山が描いてあり、3番と同じように大名行列も描いてあります。では、賛はどう描いてあるかと言いますと、一番左の真っ黒くぬりつぶしたところに白抜きに書いてある。漢字で書いてあります。七言四句の漢詩で非常に難しい内容なのですが、ちょっと我慢して聞いて下さい。 ◆賛詩の意味するもの
老胡の真面目を写し得て 杳か自性堂上の人に寄す 旧臘端午の時を信ぜずんば 芻羊を鞭起して木人に問え 「老胡」。禅はどうしても漢字を使うのです。これは私の責任じゃなくて、昔の人が使ったのですからしょうがないのです。老胡というのは達磨さんのことであります。「老」というのは、年老いたという意味もありますけれども、親しみを込めた言葉でありまして、「胡」とはエビス。中国人から見て、達磨は外国人であるということです。つまり「老胡」というのは達磨のことです。
「達磨の真面目を写し得て」。「写す」というのは、現代語の写す、という意味ではなく「描く」という意味です。だから第一句の意味はどういうことかというと、「ここに達磨の真面目を書いてある」というのです。真面目というのは現代人も使いますね。仮面をかぶっていたら真面目とは言わない。
ここに達磨の真髄を描いてある、というのですが、さて、この絵のどこに達磨がありますか? この絵に描きこまれている人間は、何人いますか。私の研究室の女性が数えてくれたんですが、全部で163人だそうです。気になる方はご自分で数えて見てください。その163人の中に達磨が紛れ込んでいるのかどうか。そういうことではないんです。「達磨の真面目」とは何をいうのか。これはまたあとで触れます。以上が第一句に書いてあることです。
第二句、「杳か自性堂上の人に寄す」。「杳か」という字は「遥か」という意味に置き換えてもかまいません。遠く、はるばると、ということです。自性堂上というのは、自性寺のこと、大分県の自性寺にお送りする、ということ。
実はこの漢詩は白隠禅師の語録に載録されています。その語録の「書き入れ本」といいまして、注を書き込んだものがあり、そこには「自性寺の和尚さんが駿河の白隠さんのところに大きな紙を送ってきて、達磨の絵を描いてくれ、と頼んできた。しばらく紙を預かっていたが、ようやく暇ができたので、達磨を書いて送った」ということが書いてあります。これが第一句と第二句の意味です。
のこりは第三句と第四句ですが、これがまた厄介でございます。三句目、「旧臘端午の時を信ぜずんば」。旧臘とは12月のこと。端午の時というのは5月5日でしょう。ですから「旧臘端午の時」とは、12月の5月5日、クリスマスの端午の節句。(笑)。そういうことになるんですが、そんな時期や時間がありますか? ありませんね。「それを信ぜずんば」、そういう不思議なことが分からないならば、信じられないならば、と。
そして第四句です。「芻羊を鞭起して木人に問え」。 芻羊というのは藁で作った羊ということ。藁で作った羊に鞭打って、木で作った人に問いなさい。これはまたおもしろい言葉でしょう。藁で作った羊なんて、動きもしないし、返事もしない。それに木で作った人形も返事はしません。さらにはまた、羊をたたいて人に問え、というのですから、甲の人をたたいて乙の人に聞くようなもので、これまた全然ありえないことです。このようにありえないことを、二重の言葉のアヤで表現しているわけですね。
先ほどの安永先生のお話の中で、「片手の声」というのがございましたけれども、これは、「隻手の音声」というやっかいな問題の周辺の消息を、ほのかに示した言葉なのです。皆さん、こりゃいったい何なのだと、あきれていらっしゃいますけれども、まあ、話を進めましょう。
自性寺さんの富士大名行列図は、細かい細部までおそろしく丁寧に描いてあります。それに比べて、「おふじさん 霞の小袖ぬがしやんせ……」というあの小さい横額は非常に簡単に描かれています。制作時間も、まあ、2、3分で描けるかなという感じです。それにくらべると、この大きい軸は、いったいどのくらいの時間をかけて描かれたかなあ、と私は拝見します。
問題はここからです。いったい、それほど丹念に何を描いているのだ、ということです。よっぽど時間があまっていて、暇つぶしにこんなのを書いたのでしょうか。私はそうは思いません。白隠禅師という方は、たいそう忙しい方で、夜もほとんど睡眠時間を削って全国をいつも回って歩いていた人です。その方が、何十時間、どれくらいの時間をかけたか知りませんけれども、こういう丹念な絵を描かれたのには意味があるわけです。皆さんあきれた顔をしていらっしゃいますので、最初に戻って、4番目の絵を見てみましょう。 ◆このつらを祖師の面と見るならば この絵は、普通の日本人だったら、何が描いてあるかすぐ分かりますね。アラブのゲリラではないです。(笑)。子供さんでも、これは「達磨さんだ」と言うでしょう。 達磨さんの絵が描かれています。白隠さんはこういう達磨の絵をたくさん描いていらっしゃいます。私が知っているだけで、百数十点にもなるでしょう。皆さんもよくご存知だと思います。お寺に行ったら、達磨さんのお軸が掛かっていたりしますが、その賛というのは、「直指人心 見性成仏」なんていうのがもっとも一般的です。白隠さんが書かれた達磨の賛も大体これがほとんどです。しかし、ここに書かれたような賛は、私は見たことがありません。この軸ははわりと最近に出たもので、私どものところに来て、龍雲寺さんにおさめて頂いたのですけれども、多分、こういう賛のものはこれからも出て来ないのじゃないかと思います。
で、そこに何て書いてあるのか。この賛は左から右の方へ読んでいきます。よくご覧ください、左端の上のところに縦長の判が押してある。これを関防印(かんぼういん)といいまして、言葉が始まるところに押すんですね。関防印が右に押してあると、右から左へ読みます。これは左から右に読んでいきます。どう書いてあるか。「このつらを祖師の」、次に「面」と書いてありますが、「面(おもて)」と読んだほうが語呂が合うでしょう。「祖師の面と見るならは 鼠をとらぬ猫と知るべし」。
このつらを祖師の面と見るならば 鼠をとらぬ猫と知るべし これまた何じゃいな、と。「鼠をとらぬ猫」というのは分かりますね、辞書にも載っています。役立たず、何の役にも立たん。猫は鼠をとらないと役立たずなわけです。ということはどういうことですか。祖師のお顔だと見るならば役立たずだと、これはどういうことですか。誰が見たって、これは達磨さんの顔でしょう。しかし、そうではない、違うぞ!と言っているのです。禅宗の祖師である達磨さんのお顔を描いたのじゃないぞ、あなたがこの絵を見て達磨さんの絵だと思うんだったら、あなたは役立たずなのだ、と言っているのです。 ◆何を「見る」のか さて、判じ物みたいな絵をいくつかご紹介しましたけれども、この1番から5番の絵はすべて、実は一つのことを表現しているのです。それは何か。1番目の賛には
「雪のはだへが見度ふござんす」、あなたの白い素肌が見たい、とありました。白隠さんは色狂いめされたわけじゃないのです。「見たい!」、これですね。これは「見性」の「見」です。なんとしてでもソレを見たい、というのです。では「雪のはだへ」とは何か。「性」、本性です。上に仏をつければ「仏性」になり、心をつければ「心性」になります。禅宗ではそういうものを本来の面目とか言いますけれども、そういう人間の心の根源を見たい、というのです。それは絵の中でいうと何ですか。富士山ですね。富士山を仏性になぞらえている。仏性の根源を見とどけたい、というのです。2番目の賛、「恋ひ人は雲の上なるおふじさん……」も、仏性そのものがわたくし白隠の恋人だと、その正体を、なんとしてでも見届けたい。ということが書いてあるのです。
禅宗ではもっとも有名な人物である、一休和尚の作といわれるものに、 本来の面目坊の立ち姿 一目見しより恋とこそなれ という道歌があります。「本来の面目坊の立ち姿」、本来の面目というのは先程申しました仏性とか、一心の根源のことです。それに「坊」がついている。「坊」というのは、男の坊さんですね。白隠さんは「おふじさん」という女性でしたけれども、一休は本来の面目という坊さんの立ち姿を見た時に恋におちた、と言っているのです。
これには、実はおもしろい文化史的な背景がございます。室町時代というのは、禅が最も文化的に栄えた時代ですけれども、禅林では男色文化というのがあったんです。男同士が友情関係をもつ、そういうものが大変はやった。現代の人にこういうことを話すのは、ちょっと私は、勘違いされるんではないかと警戒しているのですけれども、日本の文化史としてみた場合に、やれホモだの同性愛だのという、現代的な感覚だけで判断したのではちょっと間違ってしまうのです。室町時代、特に禅林ではそういう傾向があるのです。私はこういうことを力説し、それを文化の一側面として肯定的にとりあげるものですから、「芳澤はあいつは男色だ」なんて噂が立っておりますけれども、そういうことではありません。
そういう時代の一休ですから、「本来の面目坊」と言っているのです。一休から二百数十年後の白隠さんは、江戸時代の新しい社会に対応してご自分の考えを言うために、「おふじさん」という女性を採用されたのです。言っていることは同じなのです。心の根源を、その真実を、なんとしてでも見届けたい、といっているのです。それを具体的な形として、こう富士山であらわしたわけです。 ◆富士をながめる二人の人物 この絵の全体を、大きく二つの部分に分けるとしたら、私はこういう具合に分けようと思うのです。富士川から左の部分と下の行列のところをあわせたL型の部分(B)。そして、富士山を中心にしたのこりの部分(A)。この二つです。で、残された部分はどの辺まで入るかというと、茶店で腰をかけて一服している坊さんがいますね、ここまでが入るのです。この茶店で休んでいる人は何を見ていますか? 富士山を見ているんですね。それとは対照的に下の行列をしている人たちはどうですか? まっすぐに前を見ているでしょう。わき目をふって富士山を見ている人は一人もいません。一目散に左へ向かって行列している。
レジュメの拡大写真をご覧下さい。茶店の床机に腰をかけて富士山を見ている旅人、旅の坊さんです。これと同じような姿をした人が、この絵の全体の中にもう一人おります。この人はどこにおるか。なかなか分かりにくいのですが、よく捜せば、いるのです。
左部分の牙のような岩にさしかかっていく絶壁のところ、その先端のところをごらんください。この人物はどっちを見ていますか? 富士山を見ているんです。もう一度、全体図でこの二人の人物の位置を確認してください。白隠さんは、この大幅におびただしい人物を描き込んでいるのですが、この二人だけには、はっきり富士山を見させてているんです。そういう意図があるんです。私も、実物を拝見したときは気がつかなかったんです、あまりにも小さくて、あまりにもたくさんの人間が描かれているから、なかなか気がつかなかったのですけれども、写真で拡大したりしているうちに気がついたんです。 ◆富士見西行 ところで、この二人の姿、格好は何ですか? 旅の坊さん。そうです。けれども、単なる旅の坊さんではない、と私は思うのです。何ですか? これは西行法師なんです。西行法師というのは、昔から、仏教の宗派を超えて日本人の心に大きな位置を占めている詩人であり宗教家なのです。富士山があって西行が描かれている絵というのはたくさん残っています。それを「富士見西行」といいます。富士山を見ている西行の図、巨大な富士山が描かれ、豆粒のような西行が一人だけ、富士を見ている図柄です。首のところに荷物を入れた風呂敷をゆわえている、あるいは、笠を阿弥陀にしている。阿弥陀にするというのは、目深にかぶっている笠を後ろにかけることです。ちょうど阿弥陀さんの光背のようにするんです。つまり、こうすると視界が開けて遠くが見えるんです。首に風呂敷、笠を阿弥陀にした人物、そして富士山、といえばこれは西行に決まっている図柄、「富士見西行」なのです。
昔からこういう絵がたくさん描かれています。刀の鍔や、包丁のハガネの紋にも 「富士見西行」なんて名前がついているんです。そういう伝統工芸のデザインにも入るほどに日本人に、白隠以前からですよ、日本人の心のあり方の代表として長く好まれたパーソナリティー、それが富士見西行です。白隠さんはこの複雑な絵の、かなり重要なポイントに西行の姿をした豆粒ほどの人物を二人配置して、富士山を見させているのですね。仏性を見させているんです。「見性」です。
◆行列は一途にどこへ向かっているか 下の行列をしている人達は、先ほど言いましたように、全然脇目もふらずに一目散に進んでいますね。どこに進んでいるのですか、どこへ向かっています? 三途の川? はい、いい感じですね。風雲急を告げる、牙のような岩のある左部分に向かっているんですね。
私の言葉で言いますと、下に描かれたのは政治経済活動なのです。政治経済というと、現代の言葉ですけれども、現実世界、我々人間が動物として、というか人間として生きていくためにどうしても必要な経済活動、あるいは政治活動。大名行列というのはまさしく政治活動です。それに対して、富士山は先程も言いましたように、仏性と言ってもいいです。人間の心の根源にある真理、あるいは、「心法」と言ってもいいです。心の法という意味です。これを、インドの言葉でいうと「ダルマ(法)」と言うんです。つまり、大きくダルマを描いたのです。ダルマとは、違う言葉でいえば「聖」です。禅では「聖諦(しょうたい)」といいます。それに対して、下の大名行列、こういう政治経済活動などを「俗諦」といいます。われわれの現実生活の上での仕組み、真理ということです。
聖と俗とをはっきり分けるのが西洋の宗教です。ところが、仏教では必ずしも対立するものとはとらえてはいないわけです。 「聖凡一如」ともいいます。この大きな軸の中に何を描いたのか。聖なる仏性の象徴としての富士山を描いた。しかし、それだけではなく、同時に、我々の日常生活、あるいはその根底となる政治経済活動のありさまを描いた。このふたつを一枚の中に描いているのです。ということは、この軸全体がダルマ、心法、真理というもののありようを示しているわけですね。 ◆蟻の行列 軸の左側の山の部分が、大変恐ろしい風に描いてある、と申し上げましたけれども、みなさん「蟻の門渡り」というのをご存知でしょうか。大峰山なんかに行くと、まったくこれと同じような場所があり、蟻がやっと通れるような所を登って行く、そうやって修行するのですけれども、それが蟻の門渡りです。蟻の門渡りのような場所に、どうしてこれほど人物を小さく描くのか、蟻のように描くのです。
それから大名行列にしても、ちょっと離れてご覧になったら分かると思いますけど、まるで蟻ですね、蟻の行列みたいです。白隠禅師より少し後の近世江戸絵画には、虫の行列というのがいくつかあります。昆虫がこれと同じように大名行列をしている絵です。キリギリスや蟻が大名行列している絵です。これは、色々な意味がありましょうが、一つは大名行列に対する諷刺批判があるのです。 ◆法語「へびいちご」における大名行列批判 禅宗の坊さんである白隠禅師が、なぜこんなに細かく大名行列を描きこんだのか。それには、ちゃんと理由があります。白隠禅師の書かれた法語に「へびいちご(辺鄙以知吾)」という仮名法語がございます。これは、ある地方の大名に宛てた手紙の形をとる法語ですけれども、その中で、白隠禅師は、大名行列を厳しく批判しているのです。こんな馬鹿バカしい無駄使いはない、と。大名行列にはかなりお金がかかるのです。今の価値でいうと数億円というお金がいるんです。しかも、三年に一回、国元と江戸を行ったり来たりしなければならない。
大名行列というのは、もともと外様大名にお金を使わせるのが、目的だったのですね。それで、大名たちはお金がなくなるとどうするか。年貢を上げるわけです。年貢を上げても、もうやっていけない。それで、大阪の商人から前借をする。どんどん苦しくなっていく。そこで、また年貢を上げて、民百姓から絞り取る。ですからそのころ、一揆が頻繁に起こっていきます。白隠禅師はそういうことを情報としてちゃんとつかんでおりまして、「百姓が一揆を起こすのは、百姓が悪いわけではない。政治が悪いのだ」と、いうことを厳しく批判しています。それが、
「へびいちご」という法語です。 「へびいちご」、面白いタイトルでしょ。僕ら子供の時には、「あれを食べたら毒がある」なんて教わりました。本当はないのですけれどね。何の役にも立たない草、それでいて毒々しい実をつける。この二つの意味を白隠さんは自分の法語に合わせ持たせているのです。「何にも役に立たないような法語ですけれど」という謙譲の言葉と、「毒のある言葉である」ということです。そういうタイトルの「へびいちご」で厳しく大名行列を批判しています。 ◆発禁になった「へびいちご」 そういった内容もありまして、「へびいちご」は発行禁止になっているのです。禁書といいますが、京都の所司代にそういったことをする役目の人がおりまして、禁書になった。「禁書目録」という本にも実際に載っています。私は、白隠さんの法語の仕事をする時にいろいろ調べていて、白隠禅師の本が禁書になったというの見つけて、たいそう嬉しかったのです。禅宗の坊さんが書かれた本が、出版禁止になる。こんな嬉しいことはないなと、思ったわけなのです。
この絵には、つまり、そういった政治的批判の入っているんです。では、これは単なる政治批判の絵かというと、そうではない。 ◆聖凡一如 富士を中心とした聖なる世界。これだけあればいいのかといったら、どうですか、われわれは生きては行かれませんね。政治も経済もなかったら、この世は成り立たないわけです。聖諦だけではなく、俗諦もなければ、現実の生活はあり得ないのです。白隠禅師はこのふたつを、一幅の大きな絵に描き込み、このふたつをあわせた全体が心法・真理であるということを表現されているわけです。
そういうことを念頭において、2番目、3番目の絵をご覧下さい。やはり、ちゃんと上に富士山の絵が描いてありまして、下には我々の生活・なりわいに関係ある風景がある。これは、一行物の小さな軸ですけれども、その一行の小さな紙の中に、聖諦と俗諦という真理が同時に入っているわけなのです。上の聖諦の部分だけ描いていたのでは、白隠禅師は本当にすぐれた禅僧ではなかった、と言ってもいいと思います。やはり、聖諦・俗諦の全体を含めた大きな肯定。全体を肯定するような真理、それが禅だと思うのですね。ですから、みなさんどうぞご安心ください。 ◆見上げてみれば鷲頭山 そういうことを納得していただくために、もうひとつ面白い軸をご紹介します。縦長の画面で、上には山が描いてあり、下側は海で、そこに釣り舟が何艘かあります。上のほうの山腹には鳥の絵が描いてあります。そして上に賛がある。 見上げてみれば鷲頭山
みおろせば、しげ鹿浜ししはまのつり舟 鷲頭山というのは伊豆にあります。口伊豆といって、伊豆のほうに渡るところにこういう山がございまして、それを描いたものです。志下(しげ)、獅子浜(=鹿浜)というのは、鷲頭山の裾にある、浜辺の地名です。
鷲頭山と書いてあるから、ここに描いてある鳥は鷲ですね。鷲頭山だというのが分かるように山肌に大きく鳥を描いてあります。鷲頭山とは何か。鷲に霊をつけると、霊鷲山(りょうじゅせん)です。お釈迦様が説法なさった山を霊鷲山といいます。つまり、お釈迦様の説法された内容をこの山で象徴的に表わしているのです。これが聖諦です。それに対して、下に描かれているのは釣り舟です。これは、趣味のフィッシングをしているわけではない。釣り舟というのは、魚を釣って、生き物を殺して食料として提供する仕事でしょう。そういう俗諦が描いてある。
つまり、一幅の軸の中に、聖諦と俗諦という二つのもの、我々の常識からするならば正反対のものが入っている。その全体が心法という、禅の真理であるぞ、ということであろうと思います。 ◆真理の周辺の消息 そういうことでございまして、例えば、1番目、2番目、3番目の絵などは、線も飄々としていて軽く、お茶掛けに使ってもいい、お茶事に掛けてもいいなあと、いう感じがしますね。しかし、白隠さんの絵というものは、白隠さんご自身がお書きになった法語とか、それ以外の要素を勘案して見てゆくならば、そういう生ぬるい趣味ですむような内容ではない、ということが分かるんです。実に大変な、重たいメッセージが入っているわけです。白隠さんは、何とかしてみんなに、言葉で伝えることのできぬ、禅の真理のありようを伝えていこうとしておられるのです。
たとえば、こういう席で「隻手の音声とはどういうことですか」という質問が出るかもしれないから、そのために白隠禅師は、「旧臘端午の時を信ぜずんば、芻羊を鞭起して木人に問え」と、その答えまで用意されている。これはどういうことか。白隠さん以前から、禅ではこうなんです。一番肝心なところになりますと、答えないのです。答えられないのです。答えたらそれはもうダメになってしまう。ですから、一番肝心なところになりますと、「それは沖ゆくカモメに聞きなさい」とか、「家に帰ってポチに聞きなさい」とか言う。そう言わざるを得ないわけなんです。我々にとって大事なことは、この白隠さんの描かれた真理を、どうやって各人の体験的なものにしてゆくかということだろうと思うのです。ちょっと偉そうなことを言ってしまいましたけれども、私はそう思っております。私どもがやっている仕事もそうです。肝心なところは決して言うことはできないし、また妄りに分かったように言ってはならないんですが、その真理の周辺の消息というものは、何とか言葉で説明することも大切だろうと思うのです。 ◆禅画を読み解く 最近、白隠禅師の禅画というのが、またまた、ちょっとしたブームになってきているようです。美術史の人たちもよく取り上げています。冒頭に申しましたけれども、美術の方々はどうしても絵の構図がいいとか、線が強いとか、そういう様式に傾きがちなのですね。「どのように描かれているか」という見方をするんです。私自身も二つの眼がありますから、実はそうなのです。つまり、われわれは絵というものを目で見ているからです。
しかし、白隠禅画というようなものは、ただ目で見るだけではダメなのです。白隠さんの著作を読んでもらわなくてはいかん。私は美術の専門ではございません。いわば「物読み」、文献を読むのが仕事なんです。白隠禅師の仕事をさせていただくことになりまして、ここ6,7年で、禅師の著作や画賛のほとんどを読みました。現在もまだ読んでおります。全部読んだら見えてくるのです。つまり、絵の様式だけにとらわれていたのでは、奥底に秘められているものが何も分からない。絵と文字、それからその方がどう生きられたか、その方の思想をしっかりつかめれば、絵が向こうから説明してくれるのです。そういうものが白隠さんの禅画だと、私は思うのです。
この他にも、白隠さんはたくさんの絵を残しています。まだまだこれから色々めずらしいものが出て来るかもしれない。そういうものを、皆さんと一緒に研究していけば非常に面白いと思います。
龍雲寺コレクションの図録、この中にも、私は大分しつこく説明を書いてあります。またお暇がありましたら読んでみて下さい。(龍雲寺さんのご許可をいただいて、花園大学国際禅学研究所のHPに、そのすべての高精細画像と解説が掲載されています。)
→http://iriz.hanazono.ac.jp/hakuin/rekihaku/index.html
白隠さんの絵には、全部意味があります。他の禅僧の絵ではこういうのはまずありません。白隠禅師ならではです。随分変わった人だと思います。変わった人と言ったら大変申し訳ありませんが大変才能をもっていた人だと思います。あの手この手で分からせようと、隻手の音を聞かせようとしているわけなのです。「隻手の公案」の答えを描いているのではありませんが、その周辺の消息というべきことを色々な形で表現されています。
たとえば、当時の流行り歌を賛に使うことが非常に多いのです。流行り歌というのは、その歌詞を見ていたら、自然にメロディーが浮かぶでしょう。私は美空ひばりの顔を見たら、すぐ彼女の歌のメロディーが浮かびますけれども、それと同じ事です。メロディーが浮かぶということは、もう単なる絵ではない。メディアミックス、視聴覚なのです。絵を見ていたら音楽が浮かぶのです。そういう風な工夫も意図的になされています。
白隠禅画にはたくさんのバリエーションがあります。当時の民俗を踏まえたりして、非常に複雑なのですけれども、読み解いていけばたいへん面白いし、またありがたい。 ◆最後に 今から二百年以上前の方の絵ですけど、こんなに新しい手法の絵はないと私は思います。ちなみに、白隠禅師という方は、西洋で言いますと近代音楽の父と言われたヨハン・セバスチャン・バッハと同級生なのです。バッハはもっと古い時代の人だと思われたでしょう。私たちはバッハについては知っているけれども、白隠さんは誰も知らない。西洋のことは知っているが、肝心の日本のことはあまり知らないのです。歴史の教科書を見ると、臨済宗の開祖は栄西禅師、曹洞宗の開祖は道元禅師、とあります。大学入試に臨済宗の開祖は誰かと聞かれて、臨済禅を中興した白隠禅師こそ、真の日本臨済禅の祖だ、などとと書いたらまず落ちるわけです。これもまた教育が悪いのです。そう私は思っております。
ただ、我々の方にも、反省せねばならぬ悪いところはございます。白隠禅師のことは宗門では誰でも知っているわけです。私も意味も分からずに18歳のときに坐禅和讃を教わりました。みんな崇め称えてはいるのです。それから僧堂に行くと白隠の公案禅というものをやります。やるのですけれども、その周辺の研究といいますか、著作など資料の整備というか、そういうことは、甚だなされてこなかった。白隠研究ということが広範になされて来なかったのです。
私は正直に申し上げます。若いときは、白隠禅師がどうも好きではなかったのです。どうも鼻についてたまらなかった。字にしてもしつこいしねちっこいし、どうも嫌いだと思っていたのです。今は、ひたすら申し訳なく、恥ずかしいことだと慚愧いたしております。何でそうだったのか、とつくづく反省しておりますけど、私が白隠禅師そのものを読まなかったからです。つまり、白隠禅師について書かれた本、有名な作家や評論家、学者が書かれたものを読んで、それで白隠という人が分かったと、そう勘違いしていただけなのです。彼らの本が面白くなかったので、白隠さんを嫌いだと思ってしまったのです。自分の目で見る、ということが本当に大事だと思います。
ですから、どうぞみなさん、今日聞いた私の話は全部きれいに忘れていただき、どうか、ご自分の眼でご覧下さい。ご静聴ありがとうございました。

▼質疑応答
Q:他に白隠さんのような禅画で、その思想を表現するお坊さんはいらっしゃったのですか? それと時代背景。白隠さん自身がどこからそういう思想を持ち出されたのか? 仏教から入っていったのか、あるいは絵描きとしてどういう風に勉強したのか? その辺を分かりましたら教えてください。 A:私の知っている限りでは白隠さんのような禅画は、まずなかったと思います。唯一、例外がございまして、室町時代、1400年少し過ぎたくらいに描かれた国宝の「瓢鮎図」という絵がございます。ひょうたんでナマズを抑えるというテーマで、これは実に優れたテーマを書いたものです。上に32の漢詩の賛が書いてあるのですが、これが、まあ恐ろしく難しい漢詩です。そういうことが障害になって、わりと勘違いされている絵なんですが、それが唯一の例外だと思います。白隠禅師の前にも後にも多分こういう発想はない。今日はほんの一端の話をしましたけれども、表現方法、それが時代を超えていると思うのです。江戸時代にどうして、こういう発想が出てきたのか?
そのひとつを原因というか理由は、白隠禅師のお生まれになった環境があります。静岡県沼津市の原、昔は原宿と言いました。1603年、江戸幕府が始まり、東海道というものがいっそう整備された。流通の新幹線になるわけです。どんどん時代が変わって発展していきます。そこを行き交う物流、さっきの大名行列もそうですけれども、そういうものを、白隠さんは子供の時からずっと見ているのです。たとえばドイツ人のケンペルという人が日本にきますね。長崎から江戸に参府するための旅行を2回しております。その日記が残っておりますけれども、ちょうど、白隠禅師が子供のときです、ケンペルの日記は大変面白いですよ。事細かに東海道での芸能、つまり乞食の芸とかすべて書いてあります。大名行列の毛槍奴の行列など、ほとんどパンツをはかない男たちが妙な歩き方をするものだ、なんて書いています。
そういう、時代の最先端の情報がすごく多いところでお生まれになった。これが山のお寺ばかりで修行していたらそうはいかなかった。情報量がすごいのですね。今のインターネットのプロバイダーみたいなところに位置しておられた。これが大変大きいと思います。
--------------------------------------------- Q:5番の絵なのですけど、先生がここへ赤く区切られまして、右側のことをお話いただいたのですけど、左側の険しい山、白い雲、黒い雲、ここのところを大名が登っていくところが描かれておりますが、その裏には何を言わんとしているのか? そこをお聞かせいただきたいです。 A:これは、時間がなかったのではしょりましたが、実は白隠禅師は石臼の絵を描いています。石臼のところにアリが一匹いる絵です。人生も、結局は石臼のところをグルグルまわるアリのようなものだと、六道を輪廻する衆生を象徴しているのです。ちょっと難しい言葉になりますが、「痴福は三世の怨」ということを言われています。「痴福」というのはちょっと難しい言葉なのですけど、私なりの解釈で申しますと、正しい真理を知らないでこの世の幸福を満喫する、受けること、そういう人がいたとしても、結局は救われたことにはならない、それはアリが臼をグルグル堂々巡りするようなものだと。で、この部分も、臼をめぐるアリなのです。それで、意図的に「蟻のとわたり」のように描いたのだと思います。その元は、中国の寒山詩からのヒントを得たものだと思います。
私の宣伝をするわけですけれども、来月の5月25日に中公新書から『白隠―禅画の世界』というのが出ます。そこに、今申し上げましたお話とかそういったことをかなり細かく書いてあります。絵もたくさん入っています。800円くらいだと思います。また読んでいただけたらと思います。
--------------------------------------------- Q:白隠禅師が生きてらした時代の流行歌まで取り入れていたということですが、一般の人たちはどんな形で勉強されていたのでしょうか? あくまで僧侶の方が勉強に使われていたのでしょうか? A:お坊さんだけとは思いません。江戸になり、室町の文化を引き継いでかなり教養の高い町人の文化ができるわけなのです。室町からの中央の文化が全国に広まって、それがかなり教養が高いんですよ。謡曲なんかみんな知っている。われわれの親の世代は謡曲をたしなむ人がいましたが、今の若い人はさっぱりです。でも昔の人は、有名な謡曲のサワリなど、耳で聞いて知っていたのです。
昔はテレビがない。テレビもないから吉本芸能もない。その吉本芸能の代わりが、実は東海道を行き来する大道芸をする乞食たちなのです。これがエンターテイメントだった。こういう大道芸の口上にも、室町以来の文芸が入っている。そういうものを、白隠さんは賛に取り入れておられる。
また、子供の歌、鞠つき歌だとか、子守歌だとか、労働しながら歌う歌なども取り入れている。鞠つき歌っていうのは、わけの分からない、意味の分からない言葉の羅列ですね。子供の時はいったい何なのだと思っていました。私の覚えているのだったら、「お月さまいくつ 十三 七つ」。こういうのを結構禅僧が使うんですよ。いずれにしても、みんながよく知っている文句ですから、それで結構分かったのだと思います。
現代では、我々の教養の内容がすっかり変わってしまった。私は昭和20年生まれですが、私自身、日本人ではない、アメリカ人みたいなものだと思っています。そういう教育に変わってしまったのです。日本人が昔から伝えてきた教養というものは、ほとんど絶滅です。まず漢字が読めない、漢文理解が絶滅状態です。昔の人は分かった。もちろん、分からない人もいたと思います。そういうばあいは、「老師、これは何ですか」と聞けば多分、「味噌汁で顔を洗って、おととい来い」なんて言わなかったと思います。きっと絵の説明くらいはなさったと想像します。とにかく饒舌な方ですから、自分で書いて、自分で賛を入れて、そして、自分で説明をするような人だったと思います。そういうことで、白隠さんの「メディア」というものは十分機能したし、また、お弟子さんたちもたくさんいますから、そういう方々も、私は説明したと思うのです。
--------------------------------------------- Q:白隠さんとほとんど同時代に仙腰a尚も、だいぶ禅画をお描きになっています。白隠さんの布袋図を見ていると、仙腰a尚の布袋図と非常によく似ているし、「十三、七つ」も仙腰a尚にあります。仙腰a尚についてどうお考えですか? A:白隠さんより後に出た、仙腰a尚さんは大変ポピュラーな方です。禅画といいますと、「白隠・仙香vと、双璧のように並び称せられてきています。私ははっきり申しまして、仙腰a尚は、白隠さんほどには評価しません。やはり、あの方の絵はひょうきんな絵なんですね。大衆にちょっと媚びるというか、迎合するところがあって、本当に何が言いたいのかというのはないように思うこともある。「十三 七つ」は、あれはあれでいいと思います。全部いかんというわけではないんのです。けれども、今日取り上げた白隠さんの禅画のような、非常に複層的な厄介な世界を表現しようというものが見られません。
冒頭に申しましたけれど、禅画というものをどう定義するかということです。国宝とか重文とかレッテルのついた室町の水墨画がございますね、ああいうものも禅画に入れるのかどうかということもある。禅林でできたから禅画だとか、禅の心がわからないと、この絵は分からない、というような考え方があったのに対して、美術の人たちは、どこがいったい「禅」なのか、「禅」なものか、という反論も最近はあります。それはそれで理のあるところもございます。けれども、私の言う禅画はそういうことではなくて、やはり、禅の精神が如実に示されている絵、というように限定したいと思うんです。だから、単に絵の上手な和尚さんが描いた絵を禅画とは必ずしも言わない、というのが私の考えなのです。 (司会)ありがとうございました。(一同拍手)
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