東京禅センター 平成18年度第9回公開講座 NO.27
今回は先月に引き続き白隠禅師「臘八示衆」です。第五夜から第七夜ということでいよいよ大詰めです。心身ともに疲れ果てている修行者に対して叱咤激励の言葉が続きます。修行者はこれを聞いてグイグイと志のエネルギーを高め、さらに修行に打ち込んでいくわけです。【 第五夜 】 第五夜示衆に曰く、所謂摂心は長期120日。中期90日。下期80日也。尅期決定して大事を明めんと欲す。故に一衆戸外に出でず。況や雑談をや。参禅は只但勇猛の一機のみ。汝等聞かずや。近頃菴原に平四郎というものあり。不動尊の石像を彫刻して以て吉原山中瀑布の処に安置す。忽ち瀑水の漲落するを覧るに、水泡珠を跳らして前泡後泡、或いは流るる事一尺にして消え去り、或は二尺三尺にして消え去り、乃至二間三間にして消え尽く。宿縁の感ずる所、竟に世間の無常都て水泡の如くなることを覚知す。殆ど一身に逼って安処するに堪えず。偶々人の沢水法語を読むを聴くに曰く、勇猛の衆生のためには成仏一念にあり。懈怠の衆生の為には涅槃三 に亙ると。忽ち大憤志を発して、独り浴室に入りて堅く戸 を鎖し、脊梁骨を豎起し両拳を握り雙眼を し純一に坐禅す。妄想魔境蜂午紛起して法戦一場して終に断命根を得て深く無相定に入る。天明に及んで鳥雀の舎をめぐって啼くを聞いて、自ら全身を求むるに終に得べからず。唯両眼脱出して地上に在るを看る。須臾にして爪際の痛みを覚う。両眼位に帰し四支起つ事を獲たり。是の如くすること三夜、坐起一に前の如し。第三日の朝に及んで、面を洗うて庭樹を視るに、大いに平日の所見に異なり甚だ奇異となす。仍て隣僧に問う。総てに弁ぜず。因て鵠林に見えんと欲す。轎をかいて薩捶嶺をこう。子浦の風景を眺望して始めて知る。先に得る所は草木国土悉皆成仏底の端的なる事を。徑に鵠林に見えて 々爐鞴に入って、数段の因縁を透過す。彼は是れ一介の凡夫なり。未だ嘗て参学の事を知らず。然れどもわずかに両三夜にして是の如きの事を證す。唯々勇猛の一機、妄想と相戦って勝つことを得たる者なり。汝等何ぞ勇猛の憤志を発起せざるや 第五日目の夜、衆に示して言われるのには、一般に摂心は長期120日、中期90日、下期80日である。必ずや一大事因縁(宗旨の究極)を明らかにしようと決心して修行に入るのである。それゆえ、修行者は一切寺の外には出ないし、雑談もしないのである。 参禅はただ勇猛の一機(活気溢れる気合)が重要である。最近、庵原に平四郎という者がいて、不動尊の石像を彫刻して吉原山中の滝に安置した。滝の水が上から下に落ちるさまを見て水の泡がブクブク前後に移り、また1尺ほど流れる間に消え、また2尺3尺にして消え、またさらに2間3間にして消えてしまう。それを見て自然と心に感じるところがあり、ついに世間の営みはすべて水の泡のようであることに気がついた。すると、居ても立ってもいられなくなってしまった。 以前、沢水法語の中に「勇猛の衆生のためには成仏一念にあり、懈怠の衆生のためには涅槃三に亙る(勇猛心を持って修行する者は一念のうち、すなわちアッという間に悟ることができる。怠けている者は気が遠くなるほどの長年月を経なければとても悟ることはできない)」と書いてあることを聞いていた。それで早速、大憤志を起して一人浴室に入って固く戸を閉めた。そして、腰骨を起して背筋を伸ばし、手を組んで両眼をグッと睨んで純一に坐禅したのである。 妄想や魔境が次々と沸き起こり入り乱れ、それと格闘しているうちに、ついに妄想・魔境を払い去って深く無相定(三昧の境)に入った。朝が開ける頃、すずめがチュンチュンと家のあちらこちらで鳴いているのが聞こえたが、自分の身体の感覚をまったく感じなくなっており、ただ両方の目が飛び出して地上にあるのが見えた。次の瞬間、爪の痛みを感じた。すると両目は顔の元の位置に戻り、手足の感覚が感じられ自由に動かすことができるようになったのである。 このようにして三日三晩坐り抜いた。三日目の朝になって顔を洗って庭の木を見ると、通常の見え方とはまったく違っていた。近所の和尚にこのことを尋ねたが、よくわからなかった。そこで、私(白隠)に会って尋ねたいと思い、駕籠に乗って薩峠を越え子浦の風景を見た時、ハッと庭の木の様子が実は草木国土すべて成仏している姿であったということに気がついた。そして、私(白隠)の室内に入って幾つかの公案を透過したのであった。 さて、彼は一般人である。正式に禅の修行したわけでもないのに、僅か3日間で、このような境涯を得たのである。これは、ただただ勇猛の一機によるものである。妄想・魔境と戦って勝ったのだ。さあ、心の底から勇猛の大墳志を起さないか。 【第六夜】 第六夜示衆に曰く、(時に侍者茶を行ず)。建仁開山千光祖師入宋の時、偶々暑に中ってを 患う。一老翁あり。為に茶を飲ましむ。 速やかに治す。因って茶の実を齎し来て禁庭に聴して之を宇治県に植えしむ。又明恵上人に贈る。上人亦之を栂尾に種ゆ。故に千光明恵を以て茶の祖と為す。夫れ茶の能たる苦を以て體と為す。故に能く心の臓を養う。心の臓治するときは四臓自ら平らかなり。明恵上人曰く、茶は能く睡眠を除く。修道の人喫すべきものなりと。又外に之を論ずれば、心の臓を養うに苦修を第一となす。専ら精細を著けて苦修骨に徹するときは則ち神気朗然たり。故に慈明曰く、古人の刻苦なる光明必ず盛大なりと。禅関策進に曰く、心を役して已まざれば果證を得と。果證とは決定の義なり。是の故に汝等宜しく苦修を貴ぶべし。近頃奥州に文溟和尚という者あり。予に見えんと欲して百計すること六年、遂に来て掛搭を求む。予が曰く、縦い賜紫の大和尚なるも、法眼未だ明らかならざれば、予に於いては小僧たるのみ。呵罵すれども猶足らず。若し身に世儀を存し、意に尊大を抱かば、予に見えて何の益かあらん。曰く某、誠に大法の為に乍入叢林の一沙彌なり。請う和尚慈悲を惜しまず接得せよ。喝雷棒雨、豈敢て命を惜まんや。因て入室を許す。一夏九旬の間、刻苦精錬予が手中の棒を喫する事挙げて計うべからず。果して我宗向上の大事を契證す。行くに臨んで長く弟子の禮を取らん事を約す。然れば則ち、勇猛の一機、竟に法成就に至る。慎まざるべけんや。 第六目の夜、衆に示して言われるのには(その時侍者が茶を運んできた)、京都・建仁寺の開山千光国師・栄西禅師が宋に入った時、たまたま暑さにあたって胆のう炎を患った。ある老人が茶を飲ませたところ、すぐに治ってしまった。そのようなことから、宋の国から茶の実を持ってきて、宮中に献じて宇治に植えてもらったのである。また、師匠の明恵上人に贈ったところ、上人はそれを栂尾に植えた。それで、栄西禅師と明恵上人を茶の祖としている。茶の効能は苦味にある。それが心臓を良く調え養うのである。心臓の調子が良い時は自然と四臓(腎臓・肝臓・すい臓・脾臓)も調子が良い。明恵上人は「茶は眠気を取るので、修行者は茶を飲んでしっかり修行するが良い」といわれた。 また、心臓を養うには苦修(工夫努力して修行すること)が第一である。専一に精彩をつけて苦修に徹するならば自然に心はスッキリと澄み透ってくる。慈明和尚は「古人の刻苦なる、光明必ず盛大なり(古人は刻苦すれば、必ず光明の結果が大きく現われてくる)」といわれた。また、禅関策進には「心を使って休むことがなければ果證を得る(修行すればそれに対する成果が現われる)」とある。それで、修行者は苦修を心がけていくことが大切なのである。 最近、奥州に文溟和尚という人がいて、私(白隠)の下で修行したいと6年間思い悩んだ末に掛搭(入門)を願い出た。私(白隠)は次のように言った。「世間的には紫衣の大和尚であったとしても、見性して法に対する眼がハッキリとしていなければただの小僧に過ぎない。大声で罵倒されても仕方がないのだ。もし、世間的な地位や名誉心があって純粋になれず、尊大な気持を抱くことがあるならば修行しても何の意味も無い」と。文溟和尚は「私は大法のために道場に入門する小僧であります。どうぞ、慈悲を惜しまないでご指導ください。どんなに怒鳴りあげられ、雨のように棒で叩かれようとも命がけで修行に専念いたします」とこたえた。それで、入室参禅を許したのである。 一夏90日の間、刻苦練磨して怒鳴られても、叩かれても参禅を繰り返した。ついに、大悟徹底し宗旨の真髄を究めたのである。帰るに当たって、文溟和尚はこれからも弟子の礼を取ることを約束したのであった。このようにして、勇猛の一機があれば必ず仏法は成就できるのである。さあ、気を引き締めていけ。 【第七夜】 第七夜示衆に曰く、一子出家すれば九族天に生ずと。夫れ出家は、須く真の出家を要すべし。所謂真の出家とは大誓願を奮起し、勇猛精進にして直に命根を断ずれば豁然として法性現前す。是を真の出家と謂う。九族生天も亦真実にして虚しからず。昔播州に一人の女人あり。懐胎の夜に当たって自ら願を発して曰く、此の兒若し男子ならば必ず当に出家せしむべし。其の夜夢に一の老人有り。来り告げて曰く、吾は此の家九代以前の祖なり。死して冥府に堕して無量の苦を受く。而今汝が勝願力に依恃して永く地獄の苦を脱するを得たり。又甲州に良山和尚という者あり。徒を匡し衆を領ず。臘八例によって衆を禅坐す。一夜其の亡母刀を携え来たって直に腋下を刺す。大いに叫ぶこと一声、血を吐いて悶絶す。山、良久して蘇る。次の日俄かに衆と別れて行脚す。一鉢三衣、風喰露宿。師を尋ね道を訪い年を経て禅定頗る熟す。三昧に入らんと欲す時に亡母復来り現ず。わずかに眼を挙すれば即ち隠れ去る。他日深く三昧に入る。あたかも海の湛然たるが如し。亡母来り復告げて曰く、吾始め冥府に入る。鬼卒皆敬して曰く、是れ出家の母なりと。都て苦悩なし。豈思わんや、公の壮なるに及んで獄卒皆曰う。将に謂えり。是れ出家の母なりと。却て是れ俗漢の母なりと。鉄棒鉄枷、呵責言うべからず。其の恨骨に徹す。是の故に先の夜来って汝を刺す。然して汝悔て寺を出でて行脚す。中ごろ来って公を見るに消滅の念猶未だ尽きず。故に隠れ去る。今、定慧殆んど明らかなり。吾が苦患亦尽きたり。特に天上に生ずることを得たり。故に来て謝を告ぐるのみと。茲を以て之を観れば汝等咸く皆父母有り。兄弟有り。眷属有り。生生を持って之を数えば則ち豈惟千万人のみならんや。悉く皆六道に輪廻して無量の苦を受く。汝等が成道を待つことは猶、大旱に雲霓を望むが如くならん。如何んぞ悠々として坐ながら之を見て大願を発せざらん。光陰惜むべし。時人を待たず。勉旃勉旃。 第七日目の夜、衆に示して言われるのには、一人が出家し仏門に入れば九族(高祖父・曽祖父・祖父・父母・子供・孫・曾孫・玄孫)は天上界に生まれることができる、と。しかし、出家といっても真の出家でなければならない。すなわち、四弘の誓願を奮い起こし、勇猛果敢に精進し妄想煩悩を払って三昧を深めていくならば、迷いがからりと晴れて本来の自己(無相の自己・空・無・自他一如)が現われるのである。これを真の出家というのである。「九族天に生ず」とは本当のことであり、決して作り話ではないのである。 昔、播州にある女性がいた。子供を授かるに当たり「もし、男の子だったならば、出家させてください」と祈願した。その夜、夢に一人の老人が現われ、次のように言われた「私はこの家の九代以前の先祖である。死んで冥府(地獄)に入っていいようの無い苦しみを受けてきた。しかし今、あなたが祈願してくれたお蔭で長い間の地獄の苦しみを脱することができたのだ」と。 また、甲州に良山和尚という人がいて寺で弟子をとって学問の指導をしていた。臘八になったので弟子たちと坐禅をした。すると夜になって、亡くなった母の霊が刀を携えて脇腹を刺した。「ギャッ!」と叫んで血を吐いて悶絶してしまったが、しばらくして蘇生した。次の日、突然思うところあって、弟子たちに別れを告げ、寺を出て行脚に出かけた。最低の所持品のみで、野宿をしながらあちらこちらと師匠を探し、道を尋ね年月を重ねるうちに禅定(三昧力)が非常に深くなってきた。あるとき、坐禅をしようとすると亡くなった母がスーッと現われてきた。よく見ようと少し眼を上げるとすぐに隠れてしまった。 その後、坐禅をしてちょうど波ひとつ無い海のように深く三昧に入った。するとまた、亡くなった母が現れて次のように言った「私が始め地獄に入った時は、鬼たちがこの人は出家の母であると尊敬し、何の苦しみもなかった。だのに、あなたが壮年になってからは、真の出家でなかったために却って俗物の母であるといわれ、様々な拷問を受けてきた。その苦しみは言い尽くすことのできないものであった。それで、以前夜になってわき腹を刺したのだ。しかし、あなたは気づくところあって寺を出て行脚に出かけた。先ごろ来てみると、あなたは思慮分別心がまだまだ無くなってはいなかった。それで隠れたのだ。今、あなたは禅定を深め智慧を発露して真の出家となってくれた。それで、私の苦しみも無くなり天上界に行くことができた。それで、お礼を言いに来たのである」と。 誰にでも両親や兄弟や親戚がいるが、これを数えると大変な人数になる。それらの人々は、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を輪廻して苦しんでいるのだ。ここにいる修行者それぞれが成仏得道し、真の出家となることを、皆待ち望んでいるのである。どうして心の底から願心を起さないのだ。月日の去るのはアッという間である。時間は待ってくれはしないのだ。さあ、しっかりしっかり。

以上で、白隠禅師「臘八示衆」を終わらせていただきます。専門道場の教育の大きな特徴は、雲水(修行者)を徹底的に追い詰めていくことで、その殻を剥ぎ取り見性(自他一如の平等観に目覚めさせる)に導いていくということでしょう。そのために、「趙州狗子(無字)」あるいは、白隠禅師の「隻手の音声」などの公案といわれる禅宗独特の試験問題が課せられるわけです。老師の室内では「無字や隻手の公案」で追い詰められ、また一方、禅堂内では直日(じきじつ)といわれる古参の雲水から「しっかり坐れ!」と追い詰められるのです。そうやって、磨きをかけ、一人前の雲水が出来上がっていくわけです。 講演録目次へ |