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東京禅センター第5回公開講座 NO.9

【 白隠禅画を読む 】その2芳澤 勝弘
平成17年10月15日


◆前回のおさらい

 皆さんこんにちは、芳澤でございます。私に与えられたテーマは白隠禅師の禅画についてです。この前お話いたしましたのは、「富士大名行列図」です。今回初めて参加される方もおられるようですから、ざっと前回のおさらいをしておきましょう。今日は拡大したものを見ていただきたいと思います。これは、私どもの花園大学国際禅学研究所のホームページです。パソコンのことは分からないという方は、家にお帰りになったら、お孫さんにでも聞いて、一緒にご覧になってください。そうすれば、パソコンをなかだちにして、世代を超えた協力というか対話が出来るのではないかと思います。あるいはまた、若い世代の方々にも、このような禅画という、一見、古くさいような世界に、実はきわめて斬新なものがあるということを分かっていただける契機にもなると思うのです。
http://ga.hanazono.ac.jp/zoomaplus/fuji/index.html
これはZOOMAというソフトによる高精細画像で、拡大が自由自在にできる大変面白い仕組みになっていますので、ぜひお試しください。

◆富士大名行列図

 富士山が書いてあって下に大名行列が書いてある。ちょっと見たところは風景画みたいです。しかし、よくよく見てゆけば風景画ではない。私たちが持っている心の模様を絵にしたものなのです。富士山は日本人にとっては単なる山ではなくて、聖なる山であり、尊敬してあこがれている山ですが、白隠禅師はそれを仏教的に、仏心とか仏性とか言うものになぞらえている。それに対して、下に描かれているのは大名行列です。江戸幕藩体制の根幹的な制度のひとつですね。地方の大名たちに交代で江戸に詰めさせる。そのことによって、お金を使わせて幕府に従属させるという制度です。そういう大名行列が富士のすそのを通りかかる風景を描いている。つまり、上は仏教的世界で聖なる世界、仏性の世界であって、下は政治・経済、われわれが現実に生活している俗社会の論理。それが対照的に描かれているのです。それでは、上の世界だけが良くて、下の世界は下らないのかというと、そういうわけではないのです。聖なるものと俗なるものが一緒にあるのが現実であり、われわれが実際に生きていくのはそういう世界においてであること、あるいは心というものの全体のありようは、こういうものだということを描いてあるのです。絵だけを見ているとそういうことは言えないのですが、左の部分に草書で文字が書いてありますが、それを一緒に解釈すれば、そういうこと理解ができるわけです。

◆鷲頭山図

 前回の最後に鷲頭山というお話をいたしました。今日はその絵を用意して来ましたので、ごらんください。
山が書いてあります。鷲頭山というのは、伊豆半島の入り口の口伊豆というところに実際にある山です。実際にはこんなにとんがってはいません。横に三倍ほど平べったくするとちょうどこの絵のようになります。日本のお軸というのは、縦に長くなっていますから縦長にデフォルメするわけです。富士山を描くときにも、普通の大きさより、縦を三倍くらいにとんがらせて描くこともあります。その鷲頭山の山の中に鳥がいるでしょう。カラスのようにも見えますが、嘴が曲がっていますね、鷲なのです。どうして子供のいたずらみたいに鷲が描かれているのか。もう一度、全体を見てみましょう。上には山ですね。下には海があって、釣りをしています。ひとりは女性でしょうか、夫婦で釣りをしているようにも見えます。上は鷲がいる山。そして下部にあるこの二艘の舟は何をしているところか。趣味の釣りをしているのではなくて、生業のための釣りをしているのです。つまり、生活をしているわけです。もっと大げさな言い方をしますと経済活動をしているわけです。先ほどの「富士大名行列図」における大名行列部分は政治経済だといいましたが、この二艘の釣舟も、われわれの生活、生きるための「なりわい」を表わしているのでしょう。

 それに対して、山に鷲が書いてある。仏教で鷲といえば、霊鷲山(りょうじゅせん)です。お釈迦様が説法をされた山です。つまり、お釈迦様が説法をなされた仏法、あるいは仏性といってもいいのですが、そういう聖なる世界をこの山によって表現したのだぞ、ということを分かってもらうために、こういうふうに鷲を描き込んだのです。

◆賛文の重要性

さらに、この上には文字が書いてありますが、これを「賛」といいます。絵に描いたテーマに賛同した立場から、今度はそのテーマを言葉で書くのです。画と賛を一緒にして画賛といいます。これが東洋の画の特徴なのです。西洋ではまずこんな賛のついた画というものはありません。画賛は東洋の絵画の特徴です。その基には同じ精神があって、一方では画で表し、一方では言葉で表すわけです。その両方を組み合わせることによって、見る人により的確に趣旨が伝わるのです。ところが、現代人には、なかなか的確にわからない。まず、続け字が読めない、変体仮名が読めない。苦労して字が読めたとしても、今度は意味が分からない、ということになります。

 見上けてミ連は鷲頭山 みお路セは志希鹿濱の徒里舟
とあります。「連」は「れ」、「路」は「ろ」、「志希」は「しけ」、「徒里」は「つり」。みな変体仮名ですね。私たちはひらがなは50音しか教わっていません。それがいまの教育ですが、ちょっと昔の人はたくさんの変体仮名を知っていたのです。今風に書きかえますと

 見上げてみれば鷲頭山 みおろせばしげ鹿濱のつり舟
となります。「しけ」というのは地名で、鷲頭山の麓の村の名前で、今は志下と書きます。それから「鹿浜」は「ししはま」と読みます。鹿のことを「しし」ともいいます。これも鷲頭山のふもとにある海岸の名前で、今は獅子浜と書くようです。「上を見れば鷲頭山、下を見れば志下の村、そして、獅子浜の向こうに釣り舟が二艘でている」と、たったそれだけのことです。この詩は、当時仕事をしながら歌う労働歌だったということで、『沼津市誌』という本にも収録されています。昔はきっと釣りなんぞしながら歌っていたのですね。白隠さんはご自分の在所近くの漁師たちの生活をよくご覧になっていましたから、彼らがどこで魚を釣っていたか、どういう歌を歌っていたかよくご存知で、こういう歌を用いられたのです。しかし、この絵も単なる風景画ではないのです。先ほどの「富士大名行列図」と同じ構造なのです。

 実は、先に見たのとは別の「富士大名行列図」というのがあります。半切の縦長のものですが、これと「鷲頭山図」は実によく似た構図になっています。上は聖なる世界、下はわれわれが生活している俗世界。私たちは生まれて、勉強して大学へ行って、会社に勤めて、経済活動して、といった一生を送るのですが、二艘の釣舟は、そういう現実社会の姿を象徴したものなのです。

◆聖と俗とを一幅におさめる

 以上、見た絵では、いずれも上に聖なる世界、下に現実の俗世界が描かれています。一幅の軸の中に、聖なる世界と俗世界とが同時に描かれているのですが、ここが大切な部分です。皆様方は禅宗のお寺さんとご関係の深い方もおられるでしょう。法事や禅会などで色々とお経を誦まれることもあると思います。般若心経や白隠禅師の坐禅和讃を誦んだりしますね、そして一番最後に四弘誓願(しぐせいがん)を誦まれると思います。「衆生無辺誓願度……」。四つの大きな誓いですが、これを簡単に言いますと、「上求菩提、下化衆生」ということになります。「上に向かっては、菩提、悟りの道、仏の真理を求める。下に向かっては生きとし生ける人たちを救ってゆこう。」この上と下に向かってゆくことが、大乗仏教の一番大切なことなのだ、ということです。

 上はお悟りの世界、真理の世界、限りない仏の真理の世界。一遍やそこらではとても届かないのですが、それを永遠に求めて行きましょうということを表している。そして、下はけなげに釣りをして生業をしている漁師が描いてあるのですが、生きとし生けるもの、全ての人々が救済を得て幸せになってゆきますように、というふうに読み取ることも出来ると思います。以上、前回のお話を花園大学国際禅学研究所のホームページ上で白隠さんの実際の作品を見ながらご説明させていただきました。

◆白隠の布袋図

 それでは今回は、「白隠の布袋図」についてお話させていただきます。
布袋さんは、皆さんご存知ですね。今は幼稚園や小学校の子供さんもみんな知っているでしょう。年末になると富士フイルムのコマーシャルに七福神が出て来ますね。日本人は七福神の一人としての布袋さんをよく知っていると思います。随分肥えた方で、福々しいということで七福神の仲間になっています。

◆実在した布袋和尚

 しかし、布袋さんという方は、実際におられた方なのです。お名前は契此(かいし)と言ったそうです。中国の唐代にいた方で、実に変わった人でお坊様なのか、俗人なのか、さっぱりわからない。街中に出て行っては、知らない人の肩をポンポンと叩いて、振り向くと「お金頂戴」「なんか頂戴」と言ったそうです。いつも、大きな袋を担いでいてたので、「布袋」というニックネームで呼ばれたんです。ズダブクロ和尚といったところでしょうか。お金以外にも何か頂戴ということで、いただいた食べ物や一切がっさいを袋に入れて背負って歩いた。そして必要に応じて袋から出して食べたりしたわけです。お酒も召し上がったそうです。布袋さんが大好きだったのは米汁、これはお酒ですね。それから、生臭系もお肉でも何でもいただいたら召し上がったそうです。人のいるところに行くのですから、だいたい盛り場が多い。このあたりで言うと渋谷や六本木ですか。そういう所に出没なされた。まあ、どちらかと言うと乞食さんに近い方だったそうです。当時の人々も乞食だと思っていたそうですが、さにあらず、時には予言めいたことをなさって、それが見事的中したそうです。いやいや、単なるこじきではないぞと皆思っていたそうです。そして916年に亡くなったのですが、その時に、残された詩が一篇。

弥勒、真の弥勒、千百億に分身す。
時々に時人に示すも、時人、自から識らず

 「私は実は弥勒の化身である。弥勒菩薩というのは千百億に化身して現れるのだが、こうして乞食坊主に身を変えてあらわれ、その折々に私の考えを示してきたけれども、世間の人はそれを知らなんだ」という詩を残しています。それ以来、大変尊敬されるようになったということです。中国のお寺に行きますと必ず大きな布袋さんがまつってあります。日本のお寺にはあまりありません。京都宇治の黄檗山万福寺は中国風のお寺ですから、そこには大きな布袋さんが奉ってあります。そういう信仰ができて1000年以上になります。この布袋さんを、白隠禅師は非常にたくさん書かれています。それを幾つか見てゆきたいと思います。

◆豆蔵(まめぞう)

 まず、「豆蔵」。布袋さんが袋の上に乗って、口で棒をくわえて、その棒で皿回しをしている。例によって、この画だけではなくて、その上に書かれている文字が大切なんですね。よく観察していただきますと、左のほうに細長い楕円形のハンコが押してあります。これを、関防印(かんぼういん)といいます。関防印の押してあるほうから、文章が始まるわけです。

皿の中なる 水こぼさねば いつも此身は豆蔵じゃ

と書いてあります。この豆蔵というのはは、白隠禅師が子供の頃、大阪に実際にいた人なのです。身体の小さな人で、手品とか曲芸とかをし、いろいろ滑稽な身振りや喋りで、人を笑わせてお金をもらっていた大道芸人の名前なのです。これはいろいろな本に出てまいります。私は関西に住んでいますから、吉本興業が好きなのですが、吉本の池野めだか先生のような存在でしょうか。当時はテレビもありません、吉本も花月劇場もありませんから、道端で芸をやるわけですね、興行師がいるわけではないですから、それぞれの芸人が大道芸をしてそこでお金をいただくのです。そういう芸がだいぶ流行っていたようです。豆蔵の「豆」は実直、誠実、勤勉、達者という意味の「まめ」にかけているのです。「皿の中なる水」は、主心といってもいいでしょう。つねに心を摂(おさ)めていくならば、いつも誠実、達者で生きてゆくことができるのですよ、という趣旨を豆蔵坊主に語らせているのです。

◆お天王さまーーわいわい天王

次に「お天王さま」です。

お天王のまつりじゃ わひわひとはやせ

と書かれています。このお天王さまというのは、やはり江戸時代に流行った乞食さんです。当時の乞食は、ただテクテク歩いて手を差し出しただけでは、貰いはないんですね。何しろ乞食さんは一杯いましたから、まことに競争率が激しいわけです。無芸の乞食は貰いが少ないのです。中国の布袋さんのように、何も芸当をしないで手を差し出して「お金頂戴」という調子でやっていたのでは貰いがない。だから、何ぞ面白いことをせにゃならん。人様に喜んでいただいて、なるほど面白かったということでお金をいただけるのです。お天王さまも随分そのようなことをされたわけです。「はやせや子供、わいわいとはやせ」などと唱えて、面白い身振りをすると、子供たちが後をおっかけたということです。そこで、「わいわい天王」とも呼ばれております。実在した布袋和尚も、随分と子供には好かれたようです。好かれたというか、子供たちが面白がって、からかいながらつきまとったのです。そういうことが『仏祖統記』という本の布袋和尚伝に出ております。よく「布袋唐子」というテーマの絵柄を見ることがあります、茶碗の染め付けになったりしていますが、そういう布袋和尚伝にもとづくものです。後で見る「布袋携童図」も子供の手を引く布袋を描いています。


◆すたすた坊主

 その次の三番目「すたすた坊主」。これはどういう方かといいますと、その画の左に文字が書いてあります。関防印が右にありますから、こちらから読んでいきます。

来た来た又きたきた いつも参らぬ さいさい参らぬ すたすた坊主
夕べも三百はりこんだ それからはだかの代参り
旦那の御祈祷それ御きとう ねぎの御きとう猶御きとう
一銭文御きとう なあ御きとう かみさま御きとう よひ御きとう

と書かれています。五七調で大そう調子がいい、うまく調子をつけて唱えたら、さぞかし面白いでしょう。一種の芸能になっていたようです。右の方には

布袋どらをぶち すたすた坊主(に)なる所

と書いてあります。ここは「に」が抜けています。単なるすたすた坊主じゃないんだよ、布袋が「どらをぶって」、すたすた坊主になったところだ、ということです。「どらをぶつ」というのは「どら息子」というように、放蕩して財産を食いつぶすということです。布袋さん、あまりに放蕩が過ぎて財産を使いつぶして乞食のすたすた坊主になったところだ、というのです。この、すたすた坊主は、ふだん嘘をいって儲ける商人の罪ほろぼしのために神仏に代参し、その代償として金品をもらったのですが、白隠さんの描くすたすた坊主、それは白隠さんの化身に他ならないのです。あれやこれやの仕事や俗務に忙しい、われわれ在家の生活者になり代わって、もっぱら修行につとめ、生死の一大事を究めてくださっている、だから、われわれ在家の者はそういうお坊さんにご供養するのだと、このように理解することもできるでしょう。

◆布袋、お福を吹く図

次に四番目。これも「布袋さん」ですね。これはずいぶん変わっていますね。右手にタバコのキセルを持っている。そして、口からタバコの煙を吐き出して、その先はお多福になっています。これをお多福女郎といいます。そして何か賛が書かれています。図柄だけでなく書かれた文字の意味が大切だというのがこの講座の眼目です。何と書いてあるかというと、

隋分とおもへどお福ばかりは 吹にくひものでござる

 「隋分と」は、現在ではあまり使わない言葉ですが、江戸時代の言葉で「一生懸命がんばって」とか「きばって」ということです。「一生懸命がんばって吹き出そうと思うけれども、このお福さんだけはなかなか吹き出しにくいわい」と書いてあります。そして、左のほうに漢字が書いてありますね。

善導吐三尊弥陀(善導は三尊の弥陀を吐く)
布袋吹二八於福(布袋は二八の於福を吹く)
吐弥陀依称名功(弥陀を吐くは称名の功に依る)
吹於福将其何力(於福を吹くは将た其れ何の力ぞ)

善導というのは、浄土宗を始め念仏を勧められた善導大師です。伝説によると、善導大師が念仏を唱えると、口から阿弥陀さまが出てきたということです。すなわち、「善導大師が念仏を唱えられると、口から阿弥陀さまを出されたそうだけれども、この布袋は二八のお福を吐き出す」ということです。「二八」とは「2×8=16」、16歳くらいの妙齢の女性という意味です。3、4行目は、「善導大師が阿弥陀さまを吐き出されるのは念仏の功徳によってである。しかし、この布袋がお福さんを吐き出すのは、さて何の力だろうか」と。こういう面白いことが書いてあります。

◆白隠布袋の道楽とは

 タバコを吸っている布袋さんの腰のあたりをご覧下さい。瓢箪があるでしょう。瓢箪には何が入っていますか。水ではない、お酒ですね。その瓢箪の部分を拡大してみました。よくご覧ください。もっと注目していただきたいのは、その瓢箪の下にある根付です。根付はご存知ですね。帯の間にはさんだときに、落ちないように止める止め具のことで、色んな彫り物とかでできていますが、一番簡単なのは古いお金、穴の空いたお金に紐を結びつけたりします。そういうお金の根付があります。

 その根付をよくご覧下さい。真ん中の四角は穴です。その四角の上には、「道」と書いてある。そして、次は右に行きます。ちょっと切れていますけど、「楽」と書いてあるでしょう。それから、左に行くと、「通」と書いてある。そして下は「宝」。つまり、「道楽通宝」と書いてあるのです。「道楽通宝」というお金はありません。「永楽通宝」というのがあり、中国から入ってきた古いお金ですが、これが根付によく使われたそうですけれども、白隠さんは、「永楽通宝」とは書かないで、「道楽通宝」と書いている。「道楽」、どこかで聞いた言葉ですね。さきほどの「すたすた坊主」の右の方に「どらをぶつ」とありました。布袋和尚、道楽が過ぎて、とうとう財産を食いつぶして乞食のすたすた坊主になったと。この「どらをぶつ」が道楽のことですね。

 白隠さんはこんな小さな、端っこの部分に、どうしてまたこんなに手のこんだ細工を仕組んだのでしょうか。漫然とながめていたのでは、これはなかなか気づきません。私もこの絵を随分見て来ましたが、長いあいだ見落としていました。それで、色々、白隠禅師がお書きになった書物を読んでいるうちに、気がついたのです。最初はこんなところには気がつきませんでした。瓢箪、あ、これは酒だな、というぐらいに思っていただけでした。

 「道楽通宝」。これはどういうことを意味するか。この布袋さんの道楽とは何か。酒やタバコ、それもございましょう。「どらをぶつ」、財産をすっかり食いつぶすような道楽ですよ。タバコの煙でお福さんを吹き出すのです。妙齢の十六歳のお福さんを吹き出すのです。女道楽ではありません。お福さんを吹き出すのが道楽なんです。

◆お多福のことーー「美=醜」という両義性

 このお福さんをご覧下さい。お多福とも申しますが、特にこれをお多福女郎といいます。ご婦人方にはすぐお分かりと思いますけれども、髷の形、櫛の形、簪の形、これは女郎のものですね。それから、帯も前で結んでいます。これは女郎さんの結び方ですね。それでお多福女郎というのです。お福さんの顔はどうですか。美人だと思う方は手をお挙げください。美人の反対だと思われる方は? 実は、このお多福さんというのは、白隠禅画の中でも、大変面白い、しかも重要なキャラクターなのです。今ごろは、妙齢の女性に向かって、「あんたはお多福だ」といったら、大変な問題になりましょう。お多福は、あまり美しくない人に対する呼称のように使われています。

 私は密かにお多福の研究もしているのですけれども、もっとも古いところでは日本神話に出てまいります。アマテラスオオミカミが岩戸にお隠れになって、太陽が照らさなくなって、大変な大騒ぎになった。いろいろと散々なだめてもお出にならない。そこで、みんなで相談して、一計を案じて、アメノウズメノミコトという女神がそこで踊りをなさった。ストリップのような踊りをなさった。すると、ちょっと見たくなって、岩戸を少し内側から開けた。そこを力持ちの神様がこじ開けて、ようやくお出ましいただいた、という話があります。そのアメノウズメノミコトは、こういうお多福の顔をしていたなさったそうです。昔はこれが美人の相だったのです。

 奈良の正倉院に「鳥毛立女屏風」という、女性の立った姿が描かれたものがあります。よく教科書に載っていますが、その女性もやっぱりこういう下膨れの顔をしています。あるいは、もっとさかのぼって、中国の唐代あたりの絵にもこういう女性が出ます。こういう女性が美人の典型だったのです。ところが、いつの間にやら、ウズメノミコトの美貌が失墜してしまって、醜女の代表になってしまうんですね。そのように変わっていくのが、だいたい室町後期だそうです。一挙に変わってしまったのではないですから、この時期は美人と醜女との価値が同居している時代なのです、中世は。近世になっていくと、もう「お多福」は女性に対する蔑称みたいになるのです。

 私はこういうのを両義性と呼んでいるのですが、一つの言葉が相反する二つの意味を持っている。白隠さんにおいても、この「お多福」は両義性をもっているんです。つまり、このお福さんは「美人でもない、ブスでもない」ということなのです。美とか醜とかいう相対を超えた存在なのです。

 男というものは、美しい人を見ると、どうしても心を動かされるのです。これは仕方がないことで、男の性(さが)というものですが、仏教の立場、禅の立場から言うならば、善とか悪とか、美とか醜とか、そういうものは関係ないのです。さらにいえば、男も女もない。是でもなければ非でもない、男でもなければ女でもない。美でなければ醜でもない。お寺に行って、仏像を拝見しますが、たとえば観音さま、あのお姿は男ですか女ですか。男女を超えたお顔ですね。そういうことが仏教の基本だということです。

◆お福さんの着物の模様

 さて、そういうお福さんを吹き出すのが、この布袋の道楽だ、ということを示しているのですが、それは具体的にはどういうことか。
お福さんの着ている着物をご覧下さい。模様がありますね。何て書いてありますか。「寿」ですね。いまは「ことぶき」と読みますが、昔は「いのちながき」「いのちながし」といって、長生きするという意味です。お福さんが「寿」の印の入った着物を着ている、二つ合わせると、「福寿」となります。「福寿」というのは何か。みんな誰しもが欲しいものです。いつまでも幸せに長生きしたい、これは人間の基本的な当然のことですね。

 皆さんにいつまでも長生きをして、幸せになっていただきたい、と説法をしたり、活動をしたりするのがわたくし白隠の道楽ですよ、ということを、この布袋に言わせているわけです。布袋がタバコを吸って、戯れに女性を吹き出しているという、ちょっと見たところは単なる戯絵のように見えますけれども、よくよく読めば、なかなか深い意味がこめられていると思うのです。

◆白隠さんとタバコ

 タバコをすっている布袋さん、これは実は白隠さん自身が布袋に化身しているところです。白隠さんとタバコには切っても切れない縁があります。

 ここに、キセルの写真がありますが、これは白隠さんがお使いになった実物のキセルなんです。つい先だって、あるところから私のところに「白隠さんの使っていたキセルだ」といって、これを送って来ました。送ってくる前に電話があったので、「そんなキセルはどこにでもあるでしょう」と言ったら、「いや、実はキセルの他に、大きな箱があって、その中に白隠さんのお手紙と、団扇なんかがある」というので、それじゃ、送ってください、と、送ってもらったのです。

 拝見したら、手紙はまさしく本物でございまして、静岡の、今でいうと、富士市のさる方に宛てたもので、その中に、白隠さんが『禅関策進』という書物を、伊予松山城主の松平伊予守様にあげたところ、それのお礼といって、団扇と素麺をいただいたので、それをおすそ分けする、というようなことが書いてありました。団扇はなかなか良いもので、柄は漆が塗ってあります。そしてその後ろには、紛れもない白隠さんの字で「松平伊予守様より参り候団扇にて候」と書いてあります。

 箱には江戸時代と思われる字で、「白隠禅師遺品」とあり、中に目録があり、そこに「煙管」とありました。そして、このキセルを包んでいる紙を見ましたら、そこに白隠禅師の高弟、一番弟子である東嶺禅師の字で、これを某氏があげる、ということが書いてありました。
実は、白隠さんはタバコが大変好きだったのです。この時期のお坊様は結構タバコがお好きだったのですね。ところが、同じ禅宗でも中国から入ってきた黄檗宗はタバコは吸ってはいかん、という立場でした。黄檗のお坊様はタバコがいかに害があるかという漢詩をいっぱい作っています。それに対して、臨済宗のお坊様はタバコがいかにうまいかという詩をいっぱい作っている。白隠さんも三つくらい作っています。白隠さんのお師匠さんの正受老人という方もタバコがいかにうまいかという詩を作っています。臨済宗のお坊さんはなかなか理屈家といいますか理論家がおったとみえて、お釈迦様の時にいったいタバコがあったのか、などという理屈も言っています。
 
 というわけで、白隠さんも大の愛煙家であられた。ところが、一番弟子の東嶺禅師という方は大変実直な方で、いつも白隠老師に、「老師、タバコはいけません、体に良くない」というようなことを言っていたそうですけど、白隠老師、なかなかやめられなかったそうです。ある日、白隠さんがご自分の部屋で一服して、煙をくゆらせておりますと、向こうからタッタッタッと誰かが歩いてくる。足音で東嶺だと分かります。そこで、すぐ煙を払ってキセルを後ろに隠した。すると、東嶺はそのキセルをさっと取って、これを老師の前に差し出して「さあどうぞお吸いください」と言ったということです。こういう話が『東嶺禅師年譜』という本に載っています。

 ちょっと余談でしたが、このキセルの包み紙に東嶺さんが書いておられるのが面白いなあと、拝見したのでした。白隠さんはタバコも吸われましたし、酒も召し上がったのですね。先程の根付にあった「道楽」というのはそればかりではなくて、16歳の美醜を超えた素晴らしい「お福さん」と女性を吹き出すのが道楽なんだ、ということです。皆さんに禅の教えを分かってもらい、長生きして幸福になって欲しいというメッセージだと思うのです。

◆布袋携童図

最後に五番目の「布袋携童図」。賛には、こうあります。

七ツに成る子が
いたひけな事云ふた 
人も傘をさすならば
われらもかさをさそうよ

とあります。1行目と2行目はまったく別の歌で、全然違うところから取ってきたものです。まず、「七ツに成る子が いたひけな事云ふた」という歌は、有名な狂言歌謡の『七つ子』という歌にあるのです。大きなレコード屋さんにいけばテープかCDを売っています。

七つに成る子がいたいけな事言うた。殿が欲しいと謡うた。
そもさてもは、誰の人の子なれば、定家かづらか、離れがたやの……
吉野初瀬の花よりも、紅葉よりも、恋しき人は見たいものじゃ。
所々お参りゃって、疾う召され、咎をばいちゃが負いましょう。

とつづくのです。

◆子守唄――方便(ウソ)で子供をなだめすかすもの

七ツに成る子がかわいらしいことを言った。「殿が欲しい」、恋人が欲しいと言った、ということです。あと延々と続くのですが、これは子守唄なのです。子守唄というのは、だいたい訳のわからない文句が多いものです。例えば「お月さまいくつ、十三七つ」。「お月さま何歳?」「十三七つ」。一体、何のことでしょう。子守唄にはこんな、意味が通らない歌詞が多いのですが、西洋の子守歌でも同じらしいです。ナンセンス・ソングなのです。ですから、真面目に解釈したり、逐語訳しようとしても、ちょっと出来ない内容なのです。

 なぜ、そうなのか。子供というのは、むずがって、なかなか眠ってくれない、そして、泣き出してしまう。それを、「ああでもない、こうでもない」と言って、騙してなだめる、それが子守唄なのです。こういう意味のない歌を歌ったり、あるいは、泣きやまないと、捨てちゃうよとか、怖いものが来るから食わしちゃうからとか、そういう歌が多いのです。ウソという方便で子供を騙しあやし、寝かしつけるのが子守唄です。そういう歌が、最初の一行です。

◆傘の意味するもの

 その次の、「人も傘をさすならば われらもかさをさそうよ」。これは『末広がり』という狂言に出る言葉です。どんな内容かと言うと、場所は京都の丹波あたりの田舎です。田舎者の太郎冠者が主人から「末広がり」を買ってきなさいと命じられて、都まで行ったものの、末広がりが何だか知らない。「末広がり」とは扇子のことですが、太郎冠者はそのことを知らない。ある商人に「これが末広がりだよ」と騙されて、傘を買わされてしまう。そして「田舎に帰って、もしご主人様に叱られたら、こういう歌を歌いなさい」といって教えられたのが次の歌です。

傘をさすなる春日山、これも神の誓いとて、
人が傘をさすなら、われも傘をさそうよ。

 白隠さんの賛では「われ」が「われら」となっています。現代人の私たちは「われら」は複数だと考えますが、白隠さんの時代では、「われら」は単数の「われ」の意味です。「人が傘をさすなら、私もさしたいよ」ということです。白隠さんの賛では省略されていますが、もとの狂言ではこの前に「傘をさすなる春日山、これも神の誓いとて」とあります。ここに大きな意味があります。
春日山は奈良にある山で、この後に三笠山という山がございます。「傘」はこの三笠山をふまえています。これは単なる山ではない、神様のましますところです、つまり、傘というのは、天から神様が降りてこられる目印、依代(よりしろ)です。そういうことをふまえた歌なのです。神様が降りてこられる依代(よりしろ)となる傘、その傘をさしてその下に入りたいよ、ということです。傘というのは、その下に入ったら、その「お蔭」によって雨に濡れない、日傘でしたら日焼けをしない、そういうものです。

◆お乳母日傘の意味

 では、絵のほうを見てみましょう。布袋さんが傘をさしていますが、これはずいぶんと大きな傘です。それに模樣が描かれている。ふつうの傘ではない。これは何か。「お乳母日傘」の日傘です。

 「お乳母日傘」ということは、皆さまご承知と思います。今日お集まりの皆さんは、みな「お乳母日傘」で育たれた方ばかりだと思います。これは江戸時代の本ですが、ここに「お乳母日傘」の絵があります。一人の赤ちゃんにベビーシッターが四人もついていて、かしづいています。赤ちゃんは立派な「おくるみ」で大切に包まれている。そして、この大きな傘で日が当たらないように蓋っています。このように、たくさんのお乳母さんと日傘によって守られて、大事にそだてられることを、「お乳母日傘」といいます。

 布袋さんが持っているのは、この「お乳母日傘」の唐傘です。同じように綺麗な模様が描いてあります。そして、この布袋さんは赤ちゃんの代わりに子供の手を引いています。実在の布袋和尚が子供に好かれた話は前に述べたとおりですが、ここに童子を配するのも、そういう伝記をふまえたものです。

 この子供は何を表わしているのか。それは衆生のことです。生きとし生ける人々のことです。衆生の手を引いて、雨風や強い日差しに当たらないように傘で蓋っているのです。そしてこの傘は、み仏の教えの傘です。み仏の傘の下に我らも入ろうよ、わたしも入りたいよ、と歌わせているわけなのです。


◆餅花というおもちゃーー福餅

 つぎに、童子が手に持っているもの。これは何でしょう。餅花というものです。餅花の発祥は吉野山とか高野山だということです。この日本の古い仏教の場所で、仏さまにお供えをします。日本はお米の国ですから、お米で出来たお餅やお団子をお供えします。神仏への信仰が盛んになってお参りする人がたくさんになると、お供えが増えるわけで、これのリサイクルを考えなければなりません。神仏に上げたものですから、粗末にはできない。そのお下がりを頂いてきて、カチンカチンになったものをたたいて粉にして、またお餅にしたりするのです。それのお下がりを、またお団子にして頂くのですが、そういうのを「分福」、福を分けると言います。

 江戸時代になるとずいぶん豊かになりましたから、こうした福餠に色を着け子供のおもちゃにしたりします。神社や寺の縁日に行ったときに、買って帰って、子供におもちゃとして与えたり、飾ったりする。私はまだ行ったことがないのですが、この近くに目黒不動がありますね、あそこの縁日に餅花が出ると聞きました。昔の浮世絵とか、ものの本には目黒不動の餅花がよく出ています。

 つまり、餅花というのは、一度仏様にお供えしたものを、お下がりとして頂く、福を分けて頂くということです。「ごふく餅」とか「お福餅」とも呼ばれていたそうです。つまり、先に見た「お福さん」と同じで、これは、福の象徴ですね。この子供が持っている福餅はどこから来たと思いますか。布袋さんの背負っている大きな袋の中から出てきたのです。この中に福餅が無限に詰まっているのです。それを一切衆生に分けてあげよう。そういう趣旨が描かれているのではないかと思うのです。

 最後にもう一度、布袋携童図をご覧下さい。この布袋さんは誰ですか。白隠さんですね。布袋は白隠さんの化身なんです。この絵だけでなく、今日見た布袋さん、豆蔵もわいわい天王も、すたすた坊主も、すべて白隠さんの化身です。白隠さんが乞食の姿になって、さまざまな芸をし、あれやこれやの方便で、白隠禅のメッセージを伝えようとしているのです。あるいは白隠禅の教えを継承しているお坊さんだ、といってもいいでしょう。では、傘は何か。お寺の建物、あるいは、皆さんが今いる東京禅センターという建物と言ってもいいと思います。子供は一切の衆生。そして、餅花は幸せのシンボル。仏の教え、禅の教えの傘の下に入り、皆が幸せになり、永遠の生命を得ることができますように、という白隠禅師のメッセージがこめられているのです。

 それでは、具体的にどうすれば、幸せになれるのか。そういう答えは、私に求めないでください。白隠禅師のご本を、直にできるだけ読んでください。あるいは、法話の会に行ったり、和尚さんとお話されたりして、それぞれに研鑽していただき、ご自分の眼で見つけていただきたいと思います。

ご静聴、ありがとうございました。

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