レポート>>科学と仏教の接点 講座レポート2008.9.6

花園大学・東京禅センター共催 特別企画
「 科学と仏教の接点」脳認知科学と仏教
講座レポート
2008.9.6

去る平成20年9月6日のこととなりましたが東京禅センターと花園大学と共催して「科学と仏教の接点」講座を開催いたしました。当センターでは定期的に花園大学の先生方をお招きして講座を開いております。その中でも今回の講師佐々木閑先生には禅センター開設当初より度々講演に来て頂いており、当センター主任の松竹寛山師と講座の度に、一度大きな場所を借りて一線で活躍する科学者とパネルディスカッションのようなものをしたいと話しておられました。
佐々木閑先生は、理科系出身の仏教学者で、花園大学でも「禅と生命科学」講座などに関係されており、様々な分野の科学者とも交流がございます。そこで以前から交流のある認知脳科学の第一人者、藤田一郎先生(大阪大学大学院生命機能研究科教授)の紹介があり「科学と仏教の接点」講座が開かれることとなりました。
今回の講座は大人数の入る会場という事で東京大学駒沢キャンパスをお借りすることとなりましたが、予約制という事となってしまいました。それにもかかわらず、当日は開場一時間前から来られる方もいて、収容人数250人というキャパシティー一杯の人出になりました。

本講座は始め藤田先生に脳認知科学について講演をして頂き、次にそれをうけての佐々木先生の講演という形を取り、両先生とも仏教・科学に対する各自の疑問点をその都度質問し合って頂きました。簡略にですが、以下に両先生の講演の内容を掲載させて頂きます。

 

藤田 一郎 先生

はじめに、科学と仏教との共通した目標「真実(真理)の追究」

藤田先生はご自身の研究する認知脳科学と仏教の接点という観点から「あるがままに見る」とテーマを決めての講演でした。このテーマは佐々木先生の「仏教とは主観的に得られたものに、儀礼を挟まずにそのまま受け入れる=あるがままに見る」という言葉から触発されたそうです。   
先生はこの講演を始めるにあたって「科学」と「仏教」両分野にわたって「真理の追究」が共通する目標であり「仏教は精神世界の、科学は物質世界の真理を追い求めてこれまで何世紀も来た」と述べられ、また自身の研究分野である認知脳科学に関して「認知脳科学という分野は、この精神世界をもその研究の範疇に入れており、精神世界が物質世界と別にあるものなのかどうか、わからないのですが。この世の中は、『一つの法則』で動いているかもしれない。」と現代科学の精神分野への可能性を述べられましたが、一方で「しかし、初期の仏教も『一つの法則』から出発しています。その求めていたものは、2〜3千年来科学が目指していたものと、同じ方向を向いている」と仏教自体も実は精神・物理関係なく「一つの法則」を目標としているとも述べられて
おられました。

《 認知脳科学の立場から見た仏教の「ありのままに見る」の難しさ 》

(※講演会では様々な錯視図をプロジェクターにて説明していただきました。紙面の都合上割愛させて頂きます)
藤田先生は、時にユーモアを交えて「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する目玉親父の例を出したりして(目玉親父の目の中は角膜や網膜という構造では無く、実は小人が住んでいるという設定がある!)網膜に映ったそのものが世界を決めているのではなく脳が世界を決めているという事実を分かりやすく説明されました。様々な錯視が起きるのは「脳が世界を見ている」表れで、そのため藤田先生は「『ありのままに見る・あるがままに見る』という仏教の言葉は、認知脳科学からみるととても深い問題があって、人間にとって出来ることか出来ないことかもよくわからない」と述べておりました。
また、脳は自動的なメカニズム(我々の「見る」判断とは関係なく動作を起こす)+私達の意志でコントロールできるメカニズム、これらを合わせて世界の見え方を決めており、その仕組みは非常に複雑で、まだ現在わかってないことが沢山あるそうです。

● 何故我々の脳はわざわざ違ったふうに見る必要があるのか

次に錯視の事例を受け、何故そのような錯視が起きなければならないのか、たとえば、我々日本人を含めた東洋人や黒人や白人が皆、自分の人種の顔かたちは割とはっきり区別できるのに他人種はそれぞれ似たように感じます。この「顔の認識が起こる背景」として藤田先生は「人間は社会性の動物で、社会性の情報、例えば人の顔・表情・動作そういうものから、今自分の前にいる人もしくは回りにいる人が敵であるのか味方であるのか、どういう気持ちでいるのか、何に関心を向けているのか、という事を検出することは太古の昔から非常に大事でした。そのために人の脳は本来ならそれほど差のない顔も色々着色(錯視)して認識しやすくした。」と、必要に応じて見えないものを見る・補完する脳の働きがあるということを述べられました。

● これからの認知脳科学の展望

講演の最後に藤田先生は今後の認知脳科学について、
「将来的に「医療的な治療や光学的応用」また、実社会においても、全て私たちは自分で考えて自分で決断してると思っていますが「犯罪者の責任問題」(倫理観に対する精神分析以外の判断材料として)。や「経済活動における判断」においての活用について、「見る」ということの複雑さから考えると、私達が意思を決断していると思われていることでも実は私達の意思ではない可能性もあり、そういう多くの側面があるため、認知脳科学で脳を知るということは私達自身が人間自身を知るためにこれからも重要なことになってくる」と展望を示されました。

佐々木 閑 先生

藤田先生のおっしゃっていた「一つの法則」と同じように佐々木先生も仏教の世界観として、因縁の「法則性」をキーワードとして話を進められました。

《 釈迦の仏教「法則性」が動かす世界 》

仏教でいう「あるがままに見る」とは

藤田先生の認知脳科学の視覚における「あるがままに見る」の話を受けて、佐々木先生は意識の錯覚である先入観・思い込みをインドのカースト制に見られる「差別」などを例に挙げて仏教でいう「あるがままに見る」を説明されました。
また、不幸の原因でもある意識の錯覚を取り除くことに関して、修行=「自己改造システム」の果す役割についてお話されました。

● 平等の思想としての仏教(カースト制の例)

佐々木先生は実社会の錯覚とも言える「差別」について「カースト制度」の例をあげて、説明し差別に対する仏教の立場を以下のように述べられました。

「我々は知らない間に『心(意識)の錯覚』を刷り込まれていることが一杯あって、それが我々の行動を支配しているということがあります。これは特に全社会的に一つの動きで刷り込んだ場合、その刷り込みはとても強くなります。
それの一つの例がインドの『カースト制度』に代表される「差別」です。仏教はこの差別の社会から生まれた宗教といえます。差別の社会から離脱するために生まれてきたのが仏教という宗教の本質です。
今から二五〇〇年前、カーストが非常に力が強かったインドの中でそれに反対をする人達がでてきます。カーストは、実は錯覚であり、勝手に人間が作った偽物の制度であって、本質的に人間は生まれた時には全部同じだと言う人達が出てきました。
その中に釈迦も含まれるのですが、釈迦は世の中をよく観察した結果、世の中は「法則」=原因と結果の繋がり、因果関係が動かしているのであって、それ以外に世界を動かす絶対的な原動力はない。どこにも我々を救ってくれるような絶対者はいないという結論に達しました。」
世界の法則としての「因果」は絶対者を否定し、そのため、人間の生まれ・人間の素質、素材というものは生まれながらにしてすべて平等であるという思想が仏教にはあります。

 ● 「自己改造システム」……仏教の意義

佐々木先生は仏教の宗教的意義として、「哲学は理解することによって目的を完結しますけれども、仏教の場合には、理解したところから始まるのであって、理解した後に自分自身の精神構造を自分の力で変えなければならない。哲学と仏教とを分ける決定的な違いは「仏教の自己改造(修行)」にある。」と述べられ、非常に日々の積み重ねと長い強い精神力の集中を要求し、理解し、自分で実行する(修行する)必要のある釈迦の仏教を「自己改造システム」として位置づけされました。

● 「自己改造システム」としての仏教の可能性

最後に佐々木先生はご自身が仏教を心の支えとする理由を以下のようにおっしゃいました。

「私自身の感覚でいいますと、科学は好きですし、科学的にものを考えることというのは、人間にとってなくてはならないことだと思っています。
しかし、どんなに立派な科学者であっても死ぬ時はやっぱり嫌でしょう。やはりどんなに科学的であっても、死は怖いものです。それを何とか乗り越えるための方策というのは、科学とはまた別の姿でなければならない(現状の科学の力では解決不可能)。しかし、科学的な考え方と矛盾するものであっては我々は受け入れられません。
ですから、釈迦が考えた自分を改造していく道があるという仏教の教えは私にとって大変強い支えになります。釈迦が考えた自己修練システムというのは、その二つの両面を矛盾なく結びつける唯一の道であるからです。」

〜講座終了時間になりましたが両先生の議論は未だ半ばとなっておりました。時間の都合上、会場の皆様の盛大な拍手の下終了とさせていただきました。
講座終了後、両先生の下には興奮の冷め止まぬ質問者の長蛇の列が出来、本講座に対する関心の高さもそうなのですが、一人一人の質問者に対し丁寧に答える姿に、先生方の自分の分野に対する熱意が感じられました。またこの熱意によって今回の講座も開かれることとなり、さらに「科学と仏教の接点」が発展していく動力となっていくのだろうと次回の講座も期待される中での終了となりました。

また、最後となりましたが今回の講座は東京禅センター職員の他に、東京近郊寺院の若手和尚様にも東京禅センターの協力員という形で講演受付・開場案内・整備などの手伝いに御加担していただきました。この講演会が無事成功いたしましたのも佐々木閑・藤田一郎両先生、またこれらの協力員皆様の力添えのお陰と感謝しております、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

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