イベント>>科学と仏教の接点>>講座レポート2011.10.1

花園大学・東京禅センター共催 特別企画
科学と仏教の接点\
「生きることと死ぬこと ー心臓外科医との対話ー」

講座レポート
2012.10.6

 東京禅センターでは毎年2回「科学と仏教の接点」と題して講演会を開かせていただいております。第9回は平成24年10月6日(土)に東京大学駒場キャンパスにて開催され、駅から会場に歩いてくるまでの間に少し汗ばんでしまうような陽気の下200 人近くという大勢の方に足を運んでいただきました。
今回は、「生きることと死ぬこと―心臓外科医との対話―」をテーマに、日本でも指折りの心臓外科医である大崎病院東京ハートセンターセンター長の南淵明宏(なぶちあきひろ)先生を講師にお迎えしました。南淵先生は優れた心臓外科医として多くの人命を救ってきたと同時に、自己の能力を超えた状況で多くの死を見てきた人でもあります。
そうした実体験に基づいた非常に深い宗教的世界観をお持ちの先生の生き方に共鳴した佐々木先生の発案により,「現代人が生と死を受け入れるための道筋」を医学と宗教の両面から率直に語り合い,尋ね合う講演となりました。

命の現場から

 佐々木先生より南淵先生について医大卒業後海外での武者修行を経て現在のスーパークラスの心臓外科医としての地位があること、そして熱心な仏教徒であることと紹介があり、拍手とともにマイクの前に南淵先生が立ちました。
 まずは命の現場を見ていただきましょう、ということで壇上のスクリーンには「冠状動脈バイパス手術」という文字が浮かびます。南淵先生の普段テレビなどの取材においては手術の最中の動いている心臓の映像はNG映像になってしまうが、今日は幸か不幸か皆さんに見ていただけますとのお言葉に、佐々木先生がもし気持ち悪くなったら後ろに救護室がありますからと応じると、南淵先生がすかさず「医者もひとりいます」。場内大爆笑。今日の講演はこのようにスクリーンに映るリアルな命、それはテレビの医者ドラマで見るものとは全く違う、ひと針縫うごとに滲む血、動く心臓のかたわらでの縫合、まさに生と死の境目を目の当たりにする緊張と、南淵先生の軽妙なトークと先生ご自身が「仕込んだ」というネタの数々に安堵し、笑うという流れで進んでいくことになりました。
 前半はとにかく映像にうつる「命」が鮮烈でした。そして、映像の合間に映る先生の言葉「治療の至上の目的は忘れてしまえる治療」にどこまでも患者目線の先生の考え方に感銘を受けました。また現代の医学の紹介というよりも命の現場で一人の人間がどう考えたかということをお伝えしたい、そこでは使命感や倫理観を超えて「やるしかない」んです、というお言葉に禅的なもの、「なりきる」ことをイメージしました。

両先生の対談

 休憩後は、仏教的な話をしましょうか?という佐々木先生の前フリに「仏教的なネタも仕込んでありますので」と笑いを誘っていた南淵先生の言うとおり、スクリーンに大写しになった正法眼蔵第三巻現成公案「自己を運びて万物を修証するを迷とする。万物より進みて自己を修証せしむるこれ悟りなり。」から始まりました。そして、無知で愚かで典型的な偏見の例として病気になる原因のお話がありました。不摂生だから、年を取ったから、遺伝だから、悪いことをしたから、運が悪いから病気になる、でも自分は違うという考え方に対して、そうじゃなく、誰でも病気になるんだという事実がある、とのことです。これに対して佐々木先生は悪いことをしたから病気になる、という形で業の話をする人はよくいるが、仮に業というものがあるとしても、それは自分がやった悪いことに対してではなく、仏教では一人一人の人間が無限の過去から無限の未来まで生きているのだからすべての人間が悪い業も善い業も同じ量を背負って生きている、いま悪い状態の人がいるとしたらそれはいまたまたま悪い業が発現しているだけであるとお話になりました。他に教外別伝、不立文字、四諦といった南淵先生が仕込んだ仏教的なネタ(笑)がスクリーンに映り、それを南淵先生が医者においてどうかという説明をし、佐々木先生が仏教的な説明をするといった形で両先生の対談は進んでいきました。

総括

 今回は、仏教にも理解の深い南淵先生を講師に迎えて、科学と仏教の接点がいかなるところにあるのか、かなり近づけたのではないかと思われます。
「科学と仏教の接点」は、秋の続編として、春に同じ講師をお迎えして続編を講演しています。今回の続編がいかなるものになるのか、今から楽しみです。 今回の講演に足を運んでくださった方も、今回の講演録を読んで興味を持って下さった方も、5月の「科学と仏教の接点]」に足を運んでくだされば幸いです。

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